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今日の成果は何ですか?

今日の成果はなんですか

”今日、何をしたっけ?”と1日の終わりにちょっと考え込んだ。今日の仕事の成果は何だったのかと。
1日仕事をしていたはずではあるが、どんな成果をあげることができたのだろうか。

1日の初めにToDoリストを作り、そこへ注力したはずであるし、終わらなかったとはいえ、前に進めたのだ。
その結果の何に満足できなかったのだろう。

終わらせることができなかったからなのか。目に見える成果物として現われなかったからなのか。”ほら、終わったよ”とマウント気味に言えなかったからなのか。時間をかけてコツコツ進めていくような地味なタスクであることへのイライラからなのか。

言ってしまえば、そのすべてなのかもしれない。
実際、気乗りせず、集中力も散漫となってしまうような種類の仕事ではあったのだ。気乗りがしないのは、個人的な問題でしかないのだが。どうしようもなく、そうなってしまうときがあるものだ(と思う)。
自分次第と言ってしまえばそれまでなのだが、そんな仕事でもどうすればモチベーションをあげることができるのだろう。
そこへ行く前にまずは、”なぜモチベーションへつなげることができなかったのか”、を考えてみる。

手元にある資料を整理する、並び替える、グループ分けしてみる、といった専門的な技術力をさほど必要とはしない内容であったことがひとつの原因であるのかもしれない。専門的な技術力を必要としないのであれば、外注に出す(後輩などへ依頼する)ことも可能であったのかも知れないとも考る。しかし、気乗りのしない仕事である。依頼内容を明確に伝えることができたのか。自分でも求める成果(目指すべき成果)が明確ではなかったのではないか。(それに若手にはもっと建設的な経験につながる仕事を依頼すべきである。雑用は年配者がすればよいのだ。)
行きあたりばったりの、その場しのぎである。この作業が何に繋がっていくのか分からない状態でやみくもに暗闇を進んでいく。もしかしたら明かりが見えてくるのではないかとわずかばかりに思いながらも、「引き返さなくてはいけないのだろうな」、などと考えながら時間つぶしのように手だけを動かしている。この暗闇を抜けることを望んではいないのだ。成果を求めていない自分がそこにいるのだから。目指すべき成果が分からないのだから、いくら時間をかけても成果にはたどり着けない。当たり前のことだ。

では戻って、どうすればそんな仕事でもモチベーションをあげることができるのだろうか。

目的、成果が明確になっていないこと、目的、成果が明確になっていない状態のまま手を出さないことだ。暗闇を抜ける覚悟がないのであれば、ライトも持たずに足を踏み出さないことだ。やみくもに動き回ることで出口にたどり着けることもあるかもしれない。確かにそんなこともないわけではない。しかし、たどり着いた出口は本当に自分を満足させるものであるとは限らない。時間をかけ苦労した分、たどり着いた出口はすばらしいものであってほしいのだ。輝かしい未来へつながる入口(そんな大袈裟な)であってほしいのだ。

結局は効率が悪いのだ。試行錯誤しながら成果へたどり着く。そんな経験も決して無駄ではないが、いつまでも繰り返すことではない。年齢とともに、最短距離で成果へたどり着くことが求められるようになる。

足を踏み出す前に、ライトを手に出口を照らしてみるのだ。その出口が本当に自分の目指す未来への入り口なのかを確かめてみよう。時には、たとえ暗闇でも、たとえ出口が見えなくても足を踏み出さなければならないときもあるだろう。そんなこともまれにあるものだ。誰もが二の足を踏む状況の中、率先して暗闇へ足を踏み出す。気乗りがしない、集中力は散漫、おまけにイライラも絶頂である。だが、いつか必ず出口にたどり着くのだ。何へ向けての入り口なのかは分からないが。それでも次へつながっていくのだ。運が良ければその先が見通せるかもしれない。でも、それはやってみないと分からないのだ。

何かにつながるはずである。そんな確信を持ちながら今日もイライラを続けるのである。

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