客観的な判断をするにはどうすればいいのか?

客観的な判断
客観的にどう判断するか。どうすれば、できる限り主観を取り除き、エビデンスに基づいた判断ができるだろか。

そんな判断を迫られた場面でよく出てくるフレーズが「他でやっている」や「過去にはこうした」などのあまりに抽象的な回答である。
過去の事例を取り上げるのは大いに結構である。これまで積み上げてきた経験値は大きな財産であり、そこから得られるものは非常に役立つだろう。
しかし、そこで語られているのは、いくつかの事例やいかにも大規模プロジェクトで採用されたことを笠に着た、押さえつけ的な説得圧力である。”説得”と言えば聞こえはいいが、ようするに何も考えていないのである。
プロジェクトの大小にかかわらず、採用に至った過程、妥当と判断した根拠があるはずである。そこが知りたいのである。それは、各々が置かれた状況による様々な条件下で下された判断である。その判断の基で採用が決定されているはずである。そこには、条件によっては採用に至らなかったケースが存在するはずである。それは決して表には見えてこない。歴史が勝者によって作られるように。採用されなかったケースは葬り去られるのだ。

ここで原題に戻ろう。
どうすれば客観的な判断を下せるのか。
ひとつの方法として、その事象に対する知識を少しでも持っている人、具体的に例えるなら上司であったり発注者であるが、などに対し自分の言葉で説明できるのかどうかである。それは、自分自身を納得させられるかどうかといった確認をする場にもなり得る。自分自身を納得させられないのに人を納得させられるはずはないのだから。上司や発注者など他の人の視点、複数の視点から考えることでより客観的な判断に近づくのではないだろうかと考える。

複数の視点を考慮し、客観的な判断をするための資料を作るのは、そこそこ手間がかかる。例えば、複数ある採用案から最も適切な一つを選ぶ場合を考えてみよう。
まずは、条件の洗い出しとそこから浮かび上がってくる要求すべき複数の性能を確定する必要がある。要求すべき性能は各々の条件によって違ってくる。決して同じではない。そこが、先行する事例をそのまま採用することができない理由である。そして、それぞれの要求事項に対する性能を示したうえで評価するのである。そして、各々の性能は、定量的な形で示す必要がある。抽象度の高い定性的な表現ではない。例えば、「早い・遅い」「安価である・高価である」「何々に優れている・劣っている」などでは、評価することはできない。「遅い」は決してダメなわけではない。与えられた条件を満たしていれば遅くても良いのである。逆に安価であり、最適案である可能性もある。また、他の案に対して比較するような表現はNGである。それが許されるのは、定量的な性能を示したうえで、それを基に基本案に対する比率を示すなどの場合に限られる。
これらが整理できれば、おのずと採用すべき案が浮かび上がってくるのである。
だが、これが手間がかかるのである。なかなか大変なんだよ。

完成したと思い見返してみると、甘いところが見つかる。これを繰り返していくと実に内容は濃いが見にくい、理解しずらい資料が出来上がる。
最終的に求められているのは、一目見ただけで誰でも理解できる資料である。
あーむずかしい。


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