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発症2ヶ月半、“鬱の尾根”をトボトボと歩く。お笑い芸人の名倉潤さんの気持ちがわかる。

7月9日に初入院。その後、4日間1ルーティーンでブロック注射のサイクルを4回転半繰り返し、その間、週末先生不在で注射治療を受けられない日もあったり、一時退院をしたりしながらも、7月26日退院した。
その1週間後、(少なくとも私にとっては)衝撃のニュースが飛び込んできた。
2018年6月末に頚椎(首)椎間板ヘルニアの手術を受けたというお笑い芸人の名倉潤さんが、術後ストレスにより発症したうつ病のリハビリのため、2019年8月1日より2か月間の休養に入るという発表だった。

手術から1年以上経過、経過は良好なのに鬱になる理由ってなんだろう。

このニュースが私にとってなによりショックだったのは、名倉さんが2018年6月に手術を受けられ、そこから1年以上たってからの、鬱病発症という点だ。所属事務所によると、「術後経過は良好な一方で、手術の”侵襲(しんしゅう)”という普段の生活圏にはないストレスが要因でうつ病を発症し、休養が必要と医師の診断を受けた」という。その後の報道では、この“侵襲”という単語の解釈にフォーカスが集まったのだけれど、私が「あぁ、そういうことか」腹落ちし、また、もしかすると自分にも同じことが起こっていたかもしれないと思ったのは、この、「普段の生活圏にはないストレス」というところだ。

これ、わかる・・・・・・・・。すごいわかるんだよ。
たとえば、以下のような3点だ。

病院はものすごいバリアフリーで受け入れてくれる。かたや自宅の生活は容赦なく3Dの動きを求めてくるんだ。

入院して10日、わたしは一度、意気揚々退院した。わーーーーーー、家だーーーーー!って帰ってきてきたのに、半日で、「無理です、ごめんなさい」だった。動けると思ったのは嘘だった。「家」というのは、トイレも、風呂も、ベッドも、リビングも、バリアだらけだった。いや、そうではなく、腰痛だの膝痛だの、そういう患者が頼りきっている病院というのが、いかに受け入れ体制完璧だったということを思い知らされた、ということだ。自宅のちょっとしたこと、たとえば、洗濯物を取り込む、皿を洗うなんて、もはや体にとっては奇跡的な3Dの動きの組み合わせだ。世の夫どもに、声高らかに言いたい、あなたに料理、掃除、洗濯を普通にこなせる妻がいるのなら、それだけですごいんだよ!いや、あなたがそれをしてくれる人ならば、もはやそれだけで最高です!

毎日一番凹む時間は朝、ほんと、今日という一日の始まりが苦痛で仕方ないんだ。

腰椎椎間板ヘルニアでなくても、ぎっくり腰持ちの人はきっと知っているだろう。一日のうち、いつが一番しんどいか。それは朝なんだ。就寝中、ずっと横になっている姿勢で筋肉がコリ固まっているからだとよく言われるけれど、それだけかどうかはわからない。でも、朝が一番つらいのは事実だ。さらにいうと、私の場合、「どこが痛いかが起きてみるまでわからない」こと、これがとても堪えた・・・。私のにゅるり、こと、坐骨神経痛はよほど気まぐれだったのか、朝目が覚めるまで、右下半身の一体どこが痛いのかわからなかったのだ。ある日は右尻の下、ある日は右太ももの裏、ある日は右くるぶし、そのまた別の日は足の小指の脇・・・・・。寝ぼけたまま、まだ頭が「おはよー!」という元気のないうちから、日々、飛び散らかす坐骨神経痛は、その日どこが痛いのかわからないまま、ただただチリチリ・・・・痛い。それはもう、その日一日のエネルギーをすべて奪うかのように、気持ちを萎えさせるレベルだ。

昨日より良くなっている、でもこれがいつまで続くのかがわからないのが不安なんだ。

「いや、痛いのはわかるよ、でも昨日よりは良くなってるだろう」、何回もそう言われた。はい、そうです。でも、でもですよ。毎日これだけ痛いと、“明日を信じられない”のだ。医師には「手術はしない。まずは、日にち薬」と言われていても、昨日より少しも良くなっていないんじゃないか、とちょっととでも思うと、もう、気持ちが落ち込んでしまう。
実は色々思う中でも、多分、これが最も鬱の世界に近いんじゃないかとわたしは勝手に思っている。

ものすごい絶壁の尾根を歩くような、そんなイメージ。

私は登山のことを知りません。富士山に登ったこともないし、トレッキングシューズやウェアも持っていません。でも、腰椎椎間板ヘルニアになってから、特に退院してからのメンタリティというのは、“絶壁の尾根を歩くイメージ”に近いと思っている。右も崖っぷり、左も崖っぷち、前に進むしかないのにどれだけ先に安定の場があるのかわからないのだ。大丈夫だ、昨日よりはいいだろう、良くなくても少なくとも悪くはなっていないだろう、そういう、ものすごくポジティブな気持ちをものすごく強く張っていないとあっというまに足を踏み外して、左右どちらかの崖に落ちてしまう、そういう感じなのだ。そして何より怖いのは、落ちてしまったら、這い上がるモチベーションが沸かない、その不安だった。そうなるとただただ、“落ちないようにする”ことに必死なのだ。

ちょっと痛い、いつもより痛いかもしれない・・・・右の崖っぷちへ。
昨日と違うところに痛みが飛ぶ、怖い・・・・左の崖っぷちへ。
痛くて眠れない、昼寝もできない・・・・また右の崖っぷちへ。
起きてても歩けない、それなのに腹が減る・・・また左の崖っぷちへ。

わたしはたかだか1ヶ月で済んだ。それに、私の場合、夫に「すみません、すべての家事と仕事を放棄します。助けてください」と宣言してすべてを受け入れてもらった。合わせて、毎日家族やら友人から上手な励ましの言葉も受けた。だから、本当の崖っぷちというか、鬱の谷に落ち込まずに済んだ。たったそれだけのことに過ぎない。ちょっと気を緩めたら足元をすくわれて、“鬱”と隣合わせだった、それは認めざるを得ない。

もし、ネプチューンの名倉さんが今そういうところにいらっしゃるのなら、もう誰も何も言えないと思う。というか、何も言われたくないんだろうと思う。どうぞ、ゆっくり、というか、思う存分休んでいただくこと、それだけだと思うので、どうか、痛みとそれに伴う心の疲れがあるのなら、それを忘れてしまうまでマイペースで過ごしていただきたいな、そう思います。


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