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なぜ責任を負って生きるのか
世の中には、なるべく責任を負わないように生きている人も一部存在する。ところで責任を負うとは、どういうことだろうか。
例えば、リーダーとは自分以外の人たちを巻き込んで、集団としての意思決定をする人である。決断が成功すれば、リーダーへの信頼は高まり、賞賛され、さらに多くの人々を巻き込んで大きな事を達成できる。逆に失敗したら、巻き込んでしまった人たちが納得するまで謝ったり、辞職したり、もう二度とやらないと誓ったりしなくてはいけない。
責められる立場であれば誰もやりたくないと思うのだが、なぜ人は責任を持つのか?それは、成功した時の賞賛や尊敬という個人的な報酬ではなく、ほとんどの人たちは不条理や弱者を守り、自分たちが生きやすい環境を率先して作りたいという熱い思いがあるからだ。
人間は人生のどこかで、覚悟を決めて物事と対峙したり、退却の決断をする場面がある。失敗した時に、不特定多数から責められ、それに対し謝り、みんなが納得出来る形を示すこともいとわず、挑戦する姿勢が必要になる。これがリーダーとしての責任なのだろう。
私は、責任から逃げず挑戦する人たちの生き様に心を打たれる。その姿勢の先に、世の中に価値を生み出し、支援する人が現れ、結果としてお金をまわしたりすることで、その人から出る言葉の重みも増していく。
責任をもって何かを成し遂げるか、何もせずに人生を終えるか、どちらを選択するかはその人次第だ。私は納得のできる人生を送りたいので、たとえ嘲笑されても責任を持って生きたいと思う。
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