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LinkedInには2004年にすでに入っていた

最近になって日本人の間でLinkedInというソーシャルネットワークサービスが話題になっているようではあるけれど、
私実をいうと、「アーリーアダプター」を通り越した「イノヴェータ」クラスだったんですよね、LinkedInも。

記録によると、インヴィテーションを受けたのは、2004年2月29日(うるう年)。

Dear Tetsuya,

My friend recently invited me to join LinkedIn, and I've found it to be a useful online business tool.

LinkedIn lets you reach recommended employees, hiring managers and business partners through referrals from people you already know and trust. You won't receive spam or unwanted requests since people can only reach you if I decide to forward a message to you because it looks like a good opportunity.

It would be great to have you in my professional network on LinkedIn. It's free to join through the link below.

こんな感じのメール。米国に留学中の友人が送ってくれた。

(こういうのって、当時の感覚で言えば「誰に送るのか」で相当悩むんだとは思うな。英語が前提だから、日本人の中で英語に関して抵抗がなくて・・みたいな条件を考えたりするだけで結構大変)

ちょうど、Mixiのベータ版が公開される4日くらい前、と言うようなレベル。
(Mixiの招待状は、ベータ版開始日の翌日か2日後に来ていた(笑) ID二けたの人から。ただ、Orkutとかやってたのもあって、「日本のベンチャーになぞ個人情報を渡せるかぁ!といって1か月くらい放置していた(笑)・・・ので、2004年4月にMixiに登録したらしい)


18年もたって、ようやく「日本で花開く」というのもなんだか不思議な感覚ではあるけれど。

ちなみに、LinkedInの 1st コネクションは3万人(カンスト)いて、3rd以内に入っていない人は「もぐり」ってくらい、つながってはいる。

2004年の当時、恐らく、日本人参加者は100人とかそういうレベルだったんでは。Mixiも私はID4桁だったし(1か月遅れたんで)、まあそんなもんだろうとは思う。

(因みに、米アパッチ財団のメンバーのかなりをLinkedInに招待したのは紛れもなく私で、そういう意味での広がり(技術者/Tech Geeks内でのLinkedInの広がり)に世界的に大きく貢献したというのは事実ではある)


表紙写真:

古都の夕暮れ(ミャンマー・ラカイン州・ミャウ・ウー) Myanmar Rakhine State, Mrauk Oo

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