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M-1に出て、「趣味」について考えたこと。

25歳のとき、一度だけ軽いテンションでM-1グランプリに出たことがある。

高校の先輩にたまたまお笑い芸人の「しょうへいさん」という先輩がいたので、その人に声を掛けて即席のコンビを組んだ。
しょうへいさんは当時『クロマンボウ』という漫才コンビを組んでいたが、実はM-1は別の人と別のコンビを組んでエントリーさえすれば、その大会に同じ人が何度出ても良いルールになっているのだ。

M-1に出ようと思った1番のキッカケは、小学校の時の「学習発表会」だった。
おれは学習発表会で劇に出るのが好きだったのだが、特に心に残っているのは6年生の時の『人間になりたがった猫』である。

おれはその演目で、「スワガード」という敵のボス役を演じた。
ステージの上で自分以外の何かになるのは快感だった。

おれは普段マンガや文章を作っている。
それと比べると演劇や音楽やダンスは、自分自身の身体を使いそれを目の前の観客に受け取って貰うよりリアルタイムでフィジカル的な表現であると思う。

どっちの方が良いとかは全くないが、表現としてそこに大きな違いがあると思う。

だから人の前で自分自身を使って何かを表現することに、大人になってからもずっと興味があった。

しかしまた演劇をやるとなるとまずはどうにかオーディションに受からないといけないので、ハードルが高いように思えた。
だが、M-1は素人であっても参加費の1000円を払ってエントリーさえすれば、誰でも絶対に参加出来るので実はこのハードルがめちゃめちゃ低いのだ。

人前で自分自身の身体を使って「笑い」を表現するという意味では「漫才」でも目的は達成出来るのだ。
それに演劇のように大人数ではなく”コンビ”で完結して、ほぼ自己責任的に楽しめるところも良い。

もちろんお笑い自体好きだったので、「M-1に出てみる」というそのこと自体も目的の一つだった。




おれはネタ作りにも少なからず興味があった。

だがズブの素人なので、もちろんネタの作り方は全く分からなかった。
漫画も同じだが、ただ受け手として楽しむのと自分がやるのとでは何もかもが違う。

まずおれはアマゾンプライムで過去のM-1を全部観てみた。
すると4分間のネタの中での平均的なボケ数というのは大体15〜25個ということが分かった。

予選の1回戦はネタ時間が2分なので、その半分の10個前後のボケがあれば上等だろう。
つまり2分=120秒で10秒に1回くらいボケるのが適当な量だ。

次にYouTubeで「漫才 作り方」で調べてみるとNONSTYLE石田さんが子供向けに漫才の作り方の授業を行なっている動画が出てきたのでそれを全7エピソード観た。
子供向けではあるが体系的で具体的な漫才の作り方について分かりやすくまとめられている。

ナイツの塙さんが素人が送ってきたネタを添削するシリーズも見つけたので、これもいくつか観てさらに漫才について自分なりになんとか理解を深めた。

おれはほとんどその知識だけを参考にかなりベーシックな作りの漫才を作った。
漫画もそうだが”参考”は適切に絞った方がうまくいく。

ネタはおれがひとまず自分で作った。
そこから普段ネタを作っているしょうへいさんと一緒に喫茶店で2、3時間掛けそのネタを直してまとめた。

その後は、何度か公園やカラオケでネタ合わせを行なった。
スマホで撮影して、「テンポがどうだ」とか、「ここの言い方とか表情はどうだ」とか細かい部分の演出を詰めていく。

ちなみにコンビ名はおれがぱっと思いついた「かみさま」になった。
特に深い意味はなかったのだが、今考えると尖っているコンビっぽいネーミングである。



かみさまの一回戦の会場は、渋谷のシダックスカルチャーホールだった。

会場に着きエレベーターに乗ろうとすると、同じブロックで先にネタを終えたマテンロウと鬼越トマホークが雑談をしながら出てきて「ひえ〜」と思った。
受付を済ますと、「3275」と印字された緑のシールと「カレーメシ」を2つずつ貰った。(日清がスポンサーだったらしい。)

廊下では芸人たちがみんな壁の方でネタ合わせをしていてちょっとテンションが上がった。
記念にと思って、かみさまも一応影の方でネタ合わせをしてみた。

誰も気にはしていなかっただろうが、芸人たちの周りでネタ合わせをするのは緊張する。
そして出番が近くなると、袖がある奥の部屋まで大会スタッフに誘導された。

これからMー1の予選でネタをするということが急にリアルに感じてきた。
軽い気持ちで出てみたが、さすがにかなり緊張してきた。

でもおれは素人だし、ネタを人前でするのだって初めてなのでしょうがないだろう。
もう心臓バクバクだったが、ここは本業お笑い芸人のしょうへいさんにリードして貰って、おれはとにかくミスだけないようにしよう。

そう思ってぱっと横を向くと、そこには真っ青な顔で汗だくになっているしょうへいさんが立っていた。
「てつとやばい、おれメッチャ緊張してきた。」

「なんだこいつ!」と思ったが、出番までもう1分程だった。
本望ではなかったが、頼る人がいないことに気づいたおれは、逆に「覚悟」みたいなものが決まった。

なんでこのお笑い芸人の先輩に「大丈夫ですよ!リラックスリラックス!」とかフォローをしなければいけないのかは分からなかったが、ついにおれたちの出番が来た。
どうなっても後はやるだけだ。

「エントリーNo.3275、かみさま。」
かみさまは勢い良く「どうも〜!」と舞台に駆けた。

暗い観客席には、ギロっとした目でネタを観る大人たちが5、6人ほど座っていた。
当時コロナの影響もあり、審査員の作家だけで観客は入れなかったのだ。

それが余計に緊張を煽る。
心臓が口から出そうとはこのことだろう。

わけが分からないままとにかくネタを飛ばさないことと大きな声でセリフで喋ることだけにおれは集中した。

そうするとだんだん場に慣れていき、余裕が出てきた。
ボケながらチラッと観客席の方を見ると、作家さんがちょっとだけ笑っているのが見えた。

「笑った」のか「失笑」だったのかは分からないが、これがすごい嬉しくてさらに自分が高揚していくのが分かった。
やっぱり緊張感の中、人前で「何か」をするは最高だ。

「もういいよ。」
「ありがとうございました!」

結果的にしょうへいさんが顔面蒼白で緊張したままネタ中に思いっきり噛みまくったことは言うまでもないだろう。

そこから打ち上げと称してまだ明るい時間から飲んだビールがまた最高にうまかった。
反省会とアルコールはとても相性が良い。




M-1に出てから「趣味」という言葉について気付いたり考えたことがあった。

おれの趣味は、基本的に「料理」、「芸人ラジオ」、「散歩」、「読書」だ。
アラサーの男としてはちょっと地味な気がしないでもない。

趣味というものをよく考えてみると、「それなりにポピュラーなもの」でいうと意外とレパートリーは少ない気がする。

さらにその人の年齢や性別、地域、収入、所属するコミュニティなどの属性によっても実質はかなり制限されている。
例えば、「盆栽」は老人がするイメージがあるし、「スポーツカー」は今のおれの収入だと現実的に厳しい。

おれは実際にM-に出てみたとき、”M-1に出ること”は「趣味」としてかなり良いじゃないかと思った。
十分趣味になり得ると感じたのだ。

でも「趣味はなんですか?」と聞かれた時に「漫才」とか「M-1に出ること」と答える人というのは見たことがない。

当たり前のような気もするが、ちょっと不思議なことだと思った。

日本はかなりのお笑い大国だ。
特にここ最近は、劇場、テレビ番組、ラジオに留まらず、小説、エッセイ、脚本、舞台の演出、俳優とどこを見ても芸人がいて「お笑い至上主義」と言っても良いような状況である。

それでも、「漫才」をすることが趣味な人はほとんどいない。

おれも含めて多くの人は「趣味」という言葉のイメージに縛られている部分が少なからずあると思う。
つまり、世の中にある誰が決めたのか分からない「趣味」と言われるものの中から自分の「趣味」を選んでいるということだ。

確かにいくらお笑いブームであっても、人前で漫才をしたいという思う人自体はそんなにいないのかもしれない。
でもそれ以前に、選択肢として漫才が趣味になり得るという発想自体がない人がほとんどだろう。

M-1は参加費の1000円さえ払えばあとはお金が掛からない。
実はほとんどの趣味よりもコスパが良い。

おれが言いたいのは「みんな漫才をした方が良い」ということではない。

趣味というのはもっと自由で良いのかもしれないということだ。
自分や世の中がまだ趣味だと認知していないことも、勝手に自分で趣味にしてそして趣味と言い張っていいのだ。

言葉の定義は自分で好きに決めて好きに広げれば良い。

「趣味」以外にも「その言葉のイメージ」みたいなものに縛られていることは案外たくさんあるのではないだろうか。
でも本当の意味で自分のしてみたいことを趣味にすれば良いのだ。

おれはM-1に出たことで自分の中の「趣味」という言葉が崩れ定義が変化し、再構築されたみたいな感覚がある。
別に押し付ける気はないが、そういうことの入り口としてM-1に出ることはすごくおすすめである。(まあ一度しか出ていないので偉そうには言えないが。)

同じく趣味というものと遠いイメージでところで言うと、作曲してみるとか、短歌を書くとか、それこそオーディションを受けて小さい演劇に出てみるとか、「何か表現すること」は個人的におすすめしたい。
表現は楽しいし、そいういう術を持ち合わせている人はいざという時に強いと思う。

でもまあやっぱりあんまり難しいことはなしで、好きなことから。
何でも気になったものを、固定概念に囚われずに趣味にしてみれば良いだろう。

「趣味」、初めてみよう。

え、M-1の結果?
一回戦敗退ですよ。


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