見出し画像

トイレは逃げ場だ。

おれはトイレが好きだ。
誰にも干渉されず自分の世界を確保できる唯一無二の空間といってもいい。
そこでは何だってできる。排泄する以外のことだって。

panasonicの便座は太ももの裏を受け止める許容力がダントツだ。まるで聖母マリアのようだ。ヨハネによる福音書にある「受難の時をじっと静かに耐え、救いの時を待つ。静かに一緒にいる」という言葉がぴったりではないか。
もちろん王道のTOTOだって信頼している。その様はトイレ界のアレクサンドロス大王のようだ。テスラやappleよりも時価総額を上げてもらって世界中のトイレにウォッシュレットを普及して欲しいと願うばかりである。
また、LIXILも負けじとがんばっている。そのオシャレな様はまるでトイレ界のティモシー・シャラメではないか。次のメットガラのシャラメは、LIXILのタンクレスデザインをモチーフにしたジャケットを着用して世界中のファンを魅了すると予想される。

トイレという居場所は多様な作用を及ぼしている。例えばおれにとっては本来の機能にも人一倍お世話になっていると同時に、かけがえのない逃げ場となっていた。人は絶対に死ぬという事実とともに人は必ず排泄をする。避けられない。

久しぶりに会った知人と
「そういえば昨日お腹いたくて」という会話をすれば
「おまえまだ腹痛いのかよ!?」と言われるぐらい腹痛(ハライタ)のイメージがおれにはこびり付いてるようだ。その時から継続して腹痛が続いてるわけではないのだが、よくお腹を壊しているのは事実だ。
その昔、糸井重里氏が運営している「ほぼ日」で腹巻き特集の記事が連載されていたが、おれは小学校の頃から腹巻きを愛用しているので
「重里、気づくの遅すぎ」とニヒルな笑いでdisっていたほどだ。

またほんとに近いのなんのって。
人生の3分の1が睡眠時間と言われているなかで、おれの場合もう3分の1はトイレなのだ。なので普通に生活している時間が人より少なすぎる。かなりのハンディキャップを背負っているので、どうぞ優しくしてほしい。

先程書いたようにおれにとってトイレとは逃げ場だった。このnoteを書こうと思ったのも大好きな作家、鈴木涼美さんの「娼婦の本棚」を読んでからだった。

高校時代のトッピックスとして筆者は
「トイレは残された路地裏的なものの代表格だった」と記述している。
健康的にデザインされつつあった街で彼女たちの宇宙的で把握されていない場所、それがトイレだった。

確かにそうだ。個室に入ってしまえばなんだって出来る。
携帯での密談、着替え、時にはやばいことだって。その空間は恐ろしいほど広い。片山慎三監督の「さがす」の中で、とても印象的なトイレシーンがある。秘匿関係である2人はその空間で、儀式的かつ美しい所作をおこなう。路地裏的であるからこそ、その表現は確立されたのであろう。

さて、おれにとっての「逃げ場」としてのトイレも、ある種路地裏的な役割を担っていた空間だった。
家庭環境が悪かった10歳前後の「家」というソーシャルな空間のせいで、自分の心がどんどん壊れていってしまう感覚に襲われた。ボロボロ落ちるような感覚で、ツツジの小さな葉っぱを親指と人差し指で根本からこそぎ落としていく感じだった。10歳ながらも「これはやばい!」と察し、トイレに籠もったのだ。

ある日そのソーシャルが壊れたとき、おれはすぐに逃げ場へと駆け込んだ。
鍵もかけられるので「はい、バリア!無敵!」状態だった。
涙はすぐに止まったし、呼吸も落ち着く。後ろにある窓からはお隣に住む池内さんの歌声が聞こえる。なんの曲だったか覚えてないけど、いま思えば美空ひばりだったような気がする。なんとなくだが、その時だって古臭く感じたけれど、どこか胸にうつものがあったからだ。ひばりは偉大だ。

携帯もない時代、長く居座ることもなかなか出来ないので状況が落ち着いてトイレから出てみると、そこはまだ嫌なソーシャルだったわけで。
そんなときもすぐに逃げられる場所があると「はい無敵!!」状態なのだ。

どこにいっても自分の居場所を見つけるために人間は生きているのだろうと思う。仕事場とか家庭とか街とか飲み屋とか。
ジョジョの宿敵であるDIOが「生きるとは安心するためだア!」と断言していた背景には、兎にも角にも彼には居場所がなかったからだと思う。「居場所がない」と再認識してしまうと狂ってしまうので、居場所に対しては考えないほうが精神衛生上いいものでもある。現にDIOは主人公のあらゆる行為を「無駄無駄ア!」と跳ね返しエジプトにも居場所を見いだせず、時間との一致と血の戦いに狂乱したわけだ。

おれはこれといった居場所をまだ見つけていない。こうやってnoteを書いていて居場所のことなんか書くんじゃなかったと後悔しているぐらいだ・・。
現代の精神医学において、複数の依存先を持つことが心の健康に良いといわれている昨今、複数のユルくてエモい居場所を持つのがよいかもしれないとも思っている。

でもやっぱりトイレがいてくれたおかげでおれは生きてこられたんだ。

おれの宇宙よ、ちゃんと掃除してるからいつでも受け入れてくれよ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?