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常磐線の都心乗入れ計画の変遷メモ

JR常磐線の上野口では緩行線が東京メトロ千代田線へ直通運転を行っており、長らく上野駅発着だった快速線の列車についても2015年(平成27年)の上野東京ライン開業により東海道線の品川駅まで直通運転している。

常磐線の都心乗入れはかなり昔から構想されており、当初は横須賀線との直通運転が想定されていた。その後、時代の移り変わりとともに千代田線との相互直通運転へと計画が変更されたが、その過程はよくわかっていない。この記事は、整理のために参照した資料をまとめたものである。なお、それぞれの資料について信頼性の検証は別途必要である。


国鉄単独での都心乗入れ計画

上野〜東京間の回送線を利用して、東北・高崎・常磐各線の列車は東京駅方面へ直通運転することができた。しかしながら、直通運転は例外的にごく一部の列車に限って行われたのみで、今日のように多くの列車が都心へ直通運転を行うことはできなかった。上野止まりの電車を東京駅方面へ直通運転させて輸送力を増強し、山手・京浜両線への旅客の集中を解消するためには、東京以南の東海道本線の複々線化を待つ必要があった。

戦後復興計画における常磐線の都心乗入れ構想(昭和23年頃)

『交通技術 昭和23年12月号』(財団法人交通協力会)において、施設局停車場課矢野照雄氏が「東京附近の省線復興計画」というタイトルで東京周辺の改良計画を記している。常磐線に関連するものとしては次のような内容である。

  • 上野〜水戸間に遠距離電車を運転して、土浦に電車区を新設する

  • 尾久〜柏間に別線を新設して、遠距離電車および貨物列車を移す

  • ローカル旅客列車を電車化して、東海道線と東北・高崎線、横須賀線と常磐線でそれぞれ相互直通運転を行う

これらが運輸省鉄道総局内で正式に策定されたものなのかどうかはわからない。しかしながら、日本国有鉄道が発足する以前より常磐線と横須賀線を直通運転させる構想があったのは確かである。

なお、これ以前にそのような構想があったのかどうかは調べられていない。

東京駅改良工事と常磐線の品川乗入れ計画(昭和26年頃)

『交通技術 昭和26年11月号』(財団法人交通協力会)において、東京工事事務所停車場主幹山本龍也氏が「東京駅附近の改良工事について」というタイトルで田町〜田端間の山手・京浜分離運転や東京〜品川間の列車線線増に伴う東京駅の改良工事について記している。常磐線に関連するものとしては次のような内容が書かれている。

  • 東京〜品川間の列車線を急緩行で分離し、山手・京浜・東海道緩行・東海道急行の計8線とする改良工事が進行中である

  • 完成後は東海道線湘南電車の上野方面への直通と、常磐線電車の品川駅までの延長運転が計画されている

  • 東京駅引上線新設工事として東京駅の改良と有楽町〜東京〜神田間の線増を施工する

  • 上野駅の配線変更と秋葉原駅への仮ホーム新設により、常磐線電車を有楽町駅まで乗入れ運転する

山手・京浜分離運転開始までの暫定措置として常磐線電車の有楽町駅乗入れ計画が記されている。横須賀線との直通運転については触れられていないが、品川までの乗入れは計画されていたようだ。

常磐線電車の有楽町駅乗入れ開始(昭和28年)

『信号保安 1954年5月号』(社団法人信号保安協会)において、東京電気工事事務所吉村寛氏が「常磐線電車の有楽町駅乗入れ」という記事を書いている。

  • 昭和28年4月15日のダイヤ改正より、常磐線電車の有楽町駅乗入れが開始された(朝晩ラッシュ時13往復運転)

  • 上野駅〜東京駅場内までは複線、東京駅ホームから有楽町駅までは単線

都市交通審議会答申第1号(昭和31年)

昭和31年8月14日の都市交通審議会答申第1号において、常磐線一部区間(上野〜松戸)の線路増設と都心乗入れを実施することが適当であるとされる。

本文には「一部線路増設(都心乗入)」とだけあり具体的な区間は記されていないが、別図において「国鉄線増区間」の赤線が松戸まで描かれている。

常磐線電車の有楽町駅乗入れ廃止(昭和31年)

『東工 昭和32年3月号』(日本国有鉄道東京工事局)によると、昭和31年11月19日からの山手・京浜分離運転開始に伴う線路切換工事のため、同年11月17日10時をもって常磐線電車の有楽町駅乗入れを打切ったとある。

なおこれとは別に、常磐線列車の東海道線新橋乗入れが実施されていた。

東海道本線東京大船間線路増設工事(昭和32年頃)

『東工 昭和33年8月号』(日本国有鉄道東京工事局)において、調査課長田島公次氏が「昭和32年度工事概要」という記事を書いている。このうち東海道本線東京大船間線路増設について、次のように記している。

  • 東京〜品川間は、列車線(東海道本線)の海側に2線を増設する

  • 既設線を横須賀線電車と湘南電車が、新設線を中長距離列車が使用する

  • 東京〜田町間は線路別複々線、品川駅は方向別とする

  • 湘南電車と東北高崎電車との直通運転を可能にするとともに、常磐線近距離電車の東京駅乗入れ運転を考える

東海道新幹線建設(昭和35年)

『東工 昭和35年6月号』(日本国有鉄道東京工事局)において、調査課長田島公次氏が「昭和34年度実施工事概要」という記事を書いている。このうち東海道本線東京大船間線路増設について「35年1月東京―品川間のルートは新線敷として使用することとなった」とあり、着手していた東海道本線東京〜品川間の線増用地は東海道新幹線へ転用することが決定された。

東京縦貫線構想(昭和35年頃)

『信号保安 昭和35年9月号』(社団法人信号保安協会)において関東支社列車課斎藤良宣氏が「東京縦貫運転の構想とその設備について」という記事を書いている。

地下鉄直通による都心乗入れ計画

東海道本線東京〜品川間の複々線化の用地が東海道新幹線へ転用されたことにより、常磐線の都心乗入れは別の方法を検討する必要が出てきた。そこで出てきたのが地下鉄へ直通する案である。

品川〜三河島間の地下線建設と横須賀線への直通運転構想(昭和35年)

『運輸と経済 1961年2月号』(財団法人運輸調査局)において、「東京中心の通勤輸送に新構想」という小見出しで昭和35年12月14日に開催された都市交通審議会へ国鉄が提出した案が記されている。このうち常磐線に関連するものとしては次のような内容が書かれている。

  • 三河島〜品川を都心を通って地下鉄で結び、常磐線と横須賀線の直通運転を行う

  • 東海道線の品川〜大船間を複々線化する

  • 常磐線の三河島〜松戸間を複々線化する

『運輸調査月報 昭和36年1月』(運輸大臣官房統計調査官)の「第二次諮問後の都市交通審議会の活動」でも同様の内容が記されている。

『政策月報 昭和36年5月号』(自由民主党政務調査会)において、青木慶一氏が「通勤輸送問題の一考察」の中で都市交通審議会の試案を紹介しており、国鉄線の乗り入れについても記されている。

  • 8号線: 品川区大井林町〜赤羽駅 21.6キロ

  • 9号線: 中央区築地三丁目〜足立区高野町 17.5キロ

  • 国鉄では、横須賀線品川駅〜8号線〜水道橋附近〜9号線〜常磐線三河島駅の直通運転を計画

この直通運転計画については、『道路 昭和36年3月号』(社団法人日本道路協会)において日本国有鉄道常務理事滝山養氏が記した「東京都心及び周辺の鉄道計画」内で「品川から地下鉄8号路線により日比谷、大手町を通り地下鉄9号線に沿って三河島に抜けるものである」と記している。

北千住から日比谷線への直通と新金線から東西線への直通構想(昭和36年)

昭和36年の第38回国会衆議院運輸委員会における衆議院議員鈴木仙八氏と運輸省鉄道監督局長岡本悟氏とのやり取りで、次のような内容が議事録に残されている。

  • 8号線: 赤羽駅〜王子〜飛鳥山〜駒込〜本郷通り〜品川区大井林町(21.6キロ)

  • 9号線: 中央区築地三丁目〜足立区高野町(17.5キロ)

  • 国鉄は品川駅から8号線へ入り、水道橋附近で9号線へ乗入れ、三河島附近で常磐線に接続し、横須賀線と常磐線との直通運転を計画していると聞く

  • そのような計画を持ったと聞いているが、常磐線の輸送力の打開の見地から、最近は北千住から2号線(日比谷線)へ直通運転する希望を表明している

  • 金町から新金線を経由して亀戸から5号線(東西線)へ直通させる案を滝山常務理事が都市交通審議会で表明したようだが、国鉄の正式な態度決定ではないと考えている

地下鉄千代田線への直通運転

地下鉄直通案は最終的に横須賀線ではなく小田急線との直通運転が都市交通審議会の答申により示されることとなる。第32回都市交通審議会総会で高速鉄道小委員会の設置が決まり、小委員会にて8回の審議が行われたようだが、どのような議論が行われたのかは調べられていない。

都市交通審議会答申第6号(昭和37年)

昭和37年6月8日に開催された都市交通審議会第34回総会にて、答申第6号が運輸大臣に提出された。この答申で、地下高速鉄道8号線として「喜多見方面より原宿、永田町、日比谷、池ノ端及び日暮里の各方面を経て松戸方面に向かう路線」が示される。

経過地の決定(昭和39年)

東京地下鉄道千代田線建設史』によると、都市交通審議会答申第6号における8号線の経過地については関係者の間でさらなる意見の調整が行われ、昭和37年建設省告示第2187号においては線形・経過地等にさらに検討を加えて調査研究すべきものとして、都市計画路線としての決定が保留されたとある。

運輸公報 第755号(昭和39年4月7日)』によると、昭和39年1月31日に開催された都市交通審議会第45回総会にて西日暮里、町屋、北千住を経て常磐線に張付け、綾瀬以遠は常磐線を線増することが、昭和39年3月27日に開催された都市交通審議会第46回総会にて8号線のうち喜多見〜代々木上原・代々木八幡の中間地点の間を小田急電鉄の複々線高架化(腹付線増)とすることが、それぞれ承認されたとある。

千代田線建設史によると、昭和39年建設省告示第3379号において都市計画高速鉄道網の9号線として喜多見〜綾瀬間が都市計画決定され、昭和43年4月の都市交通審議会答申第10号ではそれまでの8号線が9号線と改められたとある。また、昭和39年12月18日に地方鉄道敷設免許が交付されたとある。


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