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人を殺すのは暴力ではなく期待

5年ほど前になるが、以下のようなツイートがあった。(※元ツイは削除済み)

個人的な体験から考えても、「親は子供になるべくキツイ仕事をして欲しい」と思っている傾向があるし、過労死や過労自殺関連の記事や調査レポート読んでても、親族ってのは被害者を助けるどころか追い込む働きをする場合が圧倒的に多い。

このつぶやき、私も似たような体験があるので、すごく共感した。


職場で人を追い込むのは、厳格な労務管理とか暴力よりも他人からの期待(「あいつならここまではできる」というポジティブなもの)や自ら課している期待(周りの期待に応えたい、ここで評価を得るにはここまではできないといけない)である場合の方が多い。時に、暴力よりも期待の方が強い殺傷力を持つ。

私自身、役人をやっていたときは数か月休みが全く取れず、1日の睡眠も数時間取れればいい方、という時期がこれまでに何度もあった。

別に、上司にギリギリ詰められ、ガチガチに管理されていたわけではない。こういう時のモチベーションになっていたのは「俺がつぶれればこのプロジェクトはダメになる」という自負・プライドだった。

また、こういう状況にあることを知っている家族も、そんな私に対して「無理しなくていい」なんて言うことはなく、風呂にも入らず、眠る時間もほとんどない私に対して「えらい!国のために頑張れ!」と励ます。

ギリギリの状況に最後に押し込むのは、自分自身だったり、自分の身近な人間だったりする。

肉体的にも精神的にもギリギリの状態で、さらに家族にまで「もっと頑張れ」と言われて、いったいどこに逃げ場があるのか。当人たちは励ましているつもりかもしれないけど、言われた側からすれば(これ以上どうがんばるんだ?)と思ってしまう。意識朦朧としながら「ああ、こうやって70年前も若者は戦場に送られたんだな」 なんて思ったりもした。


成長するには一定程度のストレスは必要で、無理せずノビノビ・ユルユルやってるだけでいい、とは思わない。厳しい環境で仕事をやっていくには励ましや支えも当然必要だと思う。ただ、その人が最終的に、どこに緊急避難できるのか、というのは本人はもちろん、周囲もちゃんと考えておかないといけない。

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