そういやコストって何なんだ?

コストカットって意味ないよねって思ってたけどそもそもcostってなんだっけと思い、思わずwiktionaryを引いてみた

もとはラテン語でcon-(共に)sto(立つ)という意味から来ているようだ。意味としては、いわゆる「コスト」と同義で消費する、失う、支払うなどのもあるが、他にも同意する、適合する、構成するなどの意味があったようで、必ずしもネガティブなイメージだけではないようだ。「まあ妥協せざるを得ないよね」、みたいな意味合いや文脈があるのだろうか。
面白いのは、ドイツ語で味見する、とか試してみる、といった意味のkostenの語源でもあって、しかもドイツ語でkostenは同士では味見する、と「コスト」の両方の意味があるようだ。


まあ、たしかに味見すると消費するよね?実験するとなにかを消費するから仕方ないよね。

ビジネスでの意味のドラッカーはコストを以下のように定義している。

コストとは、製品やサービスを購入しその効用を得るために、最終消費者が支払うものである

P.F.ドラッカー著、上野惇生訳、「創造する経営者」、p.88

確かに言われてみればあらゆる製品のコスト、例えば材料費だとか製造費だとかは、結果的に最終消費者が負担している。最終消費者は常に安く、それでいて満足の行く製品を求めている。そのためにもコスト管理が重要だというロジックである。

ただ、先程もコストには「構成する」や「妥協せざるを得ない」といった文脈があるかもしれないという話をしたが、ドラッカーはこれにも触れている。

コストには、価値を生み出すために必要で顧客が喜んで対価を支払ってくれる生産的コスト、価値を生み出さないが不可避な補助的コスト、価値を生み出さず悪いことが起こらないようにするための監視的コスト、いかなる成果も生み出さない浪費的コストの4つに分類している。
先に引用した「想像する経営者」では、浪費的コストはバッサリと削減し、生産的コストに注力し、残るコストは最小限にするべきと述べている。

面白いのは生産的コストに対する記述で、「生産的コストはその成果が急減する時点まで追加していくべき」と述べていることだろう。成果を上げるならば、顧客が喜んで対価を支払うならば、我々も喜んで対価を支払うべきだと言うことだ。
ここがいわゆる「コストカット」に足りない目線なのではないだろうか?生産的コストを「コストカット」すれば成果が上がらなくなるのだ!!!当たり前かもしれないが、忘れがちな部分である。

私は「生産的コスト」の良い例はApple製品だと考えている。実はApple製品は、大量生産に関する知見から言えばありえない製造手段で大量生産を行っている。マシニングセンタを大量に並べて全部削り出しで作る、とかね。私のような貧乏性の人間からすれば、「いや、金型作ろうよ・・・」と思うが、Apple製品を望む人々が喜んで買う製品を作るためには必要なコストなようだ。

そんな訳で、コストは必ずしもネガティブに捉えすぎる必要はないという事を念頭にコスト管理活動を行う必要がある。

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