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マラドーナ。

最初に心躍らされたフットボーラーは
1988年ヨーロッパ選手権の " ファン・バステン " 。

初めてテレビで観たW杯の
1990年イタリア大会で惹かれていたのは
ベルギー代表の10番 " エンツォ・シーフォ " 。

それからはずっと
" ペップ・グアルディオラ " でした。

そう、じつは
自分のフットボールライフの中で
" ディエゴ・アルマンド・マラドーナ " は
ど真ん中にはいなかったのです。

でもずっと
彼を知ってから今の今までずっと
気になり続けている存在で。
そんな選手、他にはいませんでした。


「 アンタッチャブル 」な存在。


プレーや佇まい
言動、ストーリーなどすべてにおいて
そのときの自分の想像を
軽く超えてしまっていることに
アンタッチャブルさを感じて
気づかないうちに「 畏れ 」に近い感情を
抱くようになったのかもしれません。

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でもその感情は、次第に変化していきました。

それはたぶん
自分が19歳でブラジルにサッカー留学したり
バックパッカーでいろいろな国を旅したり
コスタリカへサッカーチャレンジに行くなかで
たくさんの人や生き方に触れていくことで
自分の中でアンタッチャブルだと感じているものが
じつは世界の視野で考えたら全然そんなことなくて
むしろ、とてもとても欲しいものなんだと気づいて。

そして同じ経緯で
岡本太郎やブルーハーツも
大好きになっていったのでした。

で、マラドーナに関しては
絶版となった幻のこの名著との出会いで
さらに特別な存在へと変化していきました。

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序文のこの文章からしてサイコーなのです。


 「 サッカーを今現在
   実際に楽しんでやっている君たちに向かって
   ボクがあらためて
   (自分のプレーを解説するとは言っても)
   サッカーのテクニックについて
   あれこれ言おうとすることに
   最初はボクも気乗りしなかった。
   だって君たちは君たちなりに
   十分サッカーを楽しんでいるんだし
   それ相当のレベルに達していると思うからだ。
   たとえそのボールの扱い方や、
   ゲームに対する考え方が
   ディエゴ・アルマンドという
   一個人と違っていたからといって
   それは間違っているとか、
   直さなくてはいけない
   とかいった
   レベルの問題ではないと思ったのだ。 」
 

 「 たとえば極端な話
   ボクの蹴り方はフリットとは違うし
   プラティニなんかとも違う。
   弟のラウールやウーゴは
   ボクと似ているかもしれないが
   それでも全く同じように
   蹴るということはない。
   それぞれが、自分の好みや
   考え方に合うように
   ボールを扱っているのだ。 」
 

 「 そう考えながらも
   カメラマンの “ タカ ” や
   構成者の “ ヨウイチ ”
   それに出版社の並々ならない熱意に
   負ける形になったのは
   ボクのサッカーのスタイルややり方
   考え方を < 決まり > としてではなく
   ひとつの < モデル > として出すことによって
   これを見る人に、ボクが
   サッカープレーヤーとして感じている幸福感を
   わかってもらえるような気がしたからだ。 」


 「 だから、この本の最初に当たって、
   ボクが君たちに期待するのは、とにかく
   サッカーの素晴らしいシーンを楽しんでほしい
   ということ。
   そして、ボクのプレーで
   参考になることがあったら
   君たち自身のサッカースタイルに付け加えて
   もっともっとサッカーをやることを
   楽しんでほしいということなのだ。
   幸運を祈る! 」
 

これを読んであらためて気づいたんです。

自分は「こうしろ」と押しつけられるのも嫌だし
周りに対して押しつけるのも嫌なんだと。

マラドーナを知ってすぐのときの自分は
周りに合わせて評価されることを良しとしていたから
周りとは明らかに違う彼に対して
妙な違和感しかなかったんですよね。

けど、海外に出てみて
本当は自分も周りの目とか空気とか関係なく
自分自身の心に応えて生きたいんだ
と気づいてから、見方が変わっていった。

たぶんこれからもずっと
いや、これからもっともっと
スペシャルな存在になっていくんだと思います。

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このマラドーナの
スーパープレーTOP50動画オモシロイです。

個人的には、#20 と #26 が特にヤバかった…

たくさんのインスピレーションをありがとう。

R.I.P Diego.

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