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下半身を見せる遊び

こんにちは

中原よしおです

小学生の頃の衝撃な思い出が今でも頭からは
なれません。それは


下半身を見せる遊び


男の子がズボンとパンツを脱いで


女の子に見てもらうという遊びです


ある一定の男の子とある一定の女の子が休み
時間にその遊びをしています


私はちょっと遠くからドキドキしながら見て
見ぬふりをしていました


幼稚園から小学生になったばかりの子供達


人間の原始欲求


性への関心が公に目の前で起こっている現実
は、とてもインパクトがあり、とてもショッ
クな出来事でした


ズボンとパンツを脱ぐ男の子は3~4人いて順
番に下半身を披露しています


それを見ている女の子は5~6人


反応は様々ですがキホン楽しそうです


このとき遠目で見て見ぬふりをしていた私は、
頭の中がぐちゃぐちゃになり


それはいけない事だ、恥ずかしい事だと思う
反面


うらやましい気持ちが頭をよぎるという


混乱状態の心を体験していました


下半身を見せる事を羨ましいと思うダメな自
分...自己を否定


理性と本能のはざまで葛藤する自分


崇高と俗物のあいだをいききする思考


とにかく、ぐちゃぐちゃになったのを覚えて
います


なぜ神様はこんな意地悪をするのか?


なぜこんな恥ずかしい事を羨ましいと思うの
か?


ワケがわからなくなったのを覚えています


性に関する気づきのおかげて、もだえくるし
む日々を送ったのを記憶しています


今、大人になって思う事は


原始時代はカラダを洋服で隠していなかった
として


どうやって性的な心が芽生え、子孫を繁栄さ
せたのか?


自然と生まれる性の関心は、


愛が最初にあったのではないか?そのように
感じてしまうのです


下半身を見せるという


どこにでもありそうなありきたりな小学生の
遊びですが


私の人生で衝撃を受けた一コマであった事は
まぎれもない事実で


もし私が、その時に勇気を出して下半身を女
の子に見せていれば


今とは違う人格が形成されていたかと思うと


世の中に正解はない。そのような結論にたど
りついてしまいます。


性に関する関心が無ければ人類は途絶えてし
まいます。しかし


性に関する関心をコントロールするという本
能も


脳のどこかにインプットされているのでしょ


今回は性に関する小学生の苦悩ばなしでした


そのように葛藤する事が


人が人である理由なのかもしれません。

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