経済学は流体物理学で近似説明可能だ。
経済という人の世の現象も物理化学の法則と似たような法則に従う。ー唯物史観
ヒト、モノは現物である。現物を塩(溶質という)、カネを水(溶媒という)に例える。塩水を血液に例えよう。これが身体の血管を流れて塩という栄養成分を身体の隅々の細胞へ送り届ける場面をイメージをしよう。
塩(溶質)だけでは流れが起きない。それを水(溶媒)で溶かしてやれば、血管のような管を流れる。金融というのはうまい訳語だと思う。(カネという溶媒で物資や労働力を溶かして流れやすくする操作)
水が足りないと塩は溶け切らない。これがデフレとする。うまく溶液を流しきれない。
水が多すぎるとどうだろう。(インフレ)
薄まりすぎて充分塩分を身体の隅々まで流すには流量がいる。
ここでは塩分濃度が物価の逆数に相当する。濃ければ物価は安い。薄ければ物価は高い。
物価=水(溶媒)の量/塩(溶質の量)
つまり 通貨価値=人、モノ生産量/通貨供給量
大量の溶液を循環させるには大きな圧力が要る。身体に例えれば高血圧だ。この時の圧力はプロパガンダであり政策圧力だ。社会は物流を強制するために恐怖心を煽って人民の経済行動を促そうとすることがある。(コロナ、ワクチン、安全保障危機=仮想的設定)
異常経済状態というのは社会煽動が起きやすいものだ。
塩(生産物や労働力)が不足すればどんどん水かさ増ししてさも循環がいきわたっているように取り繕うこともある。(アベノミクス:異常な経済状態なのに景気が良いように見せかける)
あまりにも異次元に水かさを多くして溶液を薄めれば、心臓(金融機関)は疲れてしまい心不全になってしまう。水の量を調節しているのは腎臓=中央銀行(日銀)だ。日銀が水の量をどう調節してよいかわからないというならばそれは腎不全だ。
買いオペ=水供給、
また腎臓は血管の太さも調節する。つまり血管抵抗だ。政策金利=血管の太さ調整
圧力=流量x抵抗(電気で言えばオームの法則)
政策プロパガンダ(圧力)=流動資産(流れているカネの額)x金利 …①
①式は今野のプロパガンダ政策圧力の第一法則という
(日米は塩がたりないので大量の水でうめた。流動資産が過剰だ。アメリカは金利を上げて戦争煽って何とか景気維持しようとする。日本は金利が低いのでプロパガンダはアメリカほどでない)
血液がもし急に減ってしまい循環が維持できなくなったら血管を収縮させて勢いを保とうとする。ホースで水播きしている人はホースの先をつまんで抵抗を与えると水の勢いは強くなって水は遠くまで飛ぶだろう。
管の抵抗が金利にあたる。ちなみにマイナス金利は敢えてとりつけたポンプだ。ポンプは陰圧で水流を引いて陽圧で経路へ流量を促進する。
金利が上がると管が細くなって流量が減る。カネでいえば貸し借りに重しが付く。
消費税は血栓になりかねない。血管は詰まってしまいカネの流れは邪魔されて滞る。
心不全は循環量がダブダブで流しきれない状態だ。ひどくなれば浮腫や肺水腫を起こす。流れない水が体内に貯留してしまう。日銀当座預金口座や証券口座に生産投資に利用されないカネがダブつく。もしこれが循環に乗ってしまえば心臓が疲弊するか血管が破れるかだ。そうなったら崩壊だ。
身体の一部に血流がいきわたらないならば虚血、阻血だ。原因は血栓だったり血管収縮(動脈硬化)だったりする。これは税負担過剰、金利高にあたる。あまりひどければ組織は壊死になる。独占資本主義(ネオコン)は末梢動脈硬化症だ。体の中心血管(グローバル多国籍企業)に体液(カネ)が充満して末梢(地方)には流れない状態だ。地方は貧困化して末梢から滅びてゆく。中心血管圧は高く、充血して流れなくなり動脈瘤となり破裂する。(シオニズムの狂気と爆発、崩壊)
ここでプロパガンダつまり高血圧は差別主義、憎悪主義、敵対主義などに相当する。
日本やアメリカの状態は貧血と高血圧、心不全だ。血が薄いのだ。血は農産、工業生産、人材だ。一二次産業を怠けて三次産業比率が高いのは水かさを多くして循環量を多く見せかけて保つことに相当する。貧血が進行すると心不全を起こす。
もっとひどければ崩壊だ。
ではどう治療すればよいか?
1,貧血の治療。血を濃くする。農工業生産を増やす。=通貨価値を丁度よく維持する、
2,そのためには身体の部位ごとの必要性に応じて水の濃さを計画的に調整して配る。つまり社会的需給に応じて計画的に水量、水圧を調節して流す。一か所に水を溜めない。(うっ血=独占)
これが社会主義である。
そしてその結果、体中の細胞に必要なだけ栄養(物資)、水分(資本)が行き渡って元気を保てるようになる。これが共産という状態である。
このように経済の分析は生体の血行動態、物理学理論を応用して考えれば合理的に説明しやすいものでもある。
独占資本というのはグローバル多国籍企業の資本家が随意的にやりたい放題できそうに思えるが、実はいつまでも成り立つものではない。やはり物理の掟に逆らえるものではない。意外と自然科学の法則性に従っているものなのだ。
好むと好まざるとにかかわらず世の中は唯物論的に移りゆくものだ。諸行無常の法則。
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