小学生時代に身に着けたことの定着力は異常

つい先日、PS4の鬼武者リマスター版を購入した。音楽が佐村河内守もとい新垣隆じゃなかったり、声優陣の一新と金城武の演技再録など、主に音声の面で諸々の違和感があったが、アクション部分は基本的にそのまま。空前絶後のバッサリ感と謳うだけあり、一閃の爽快感なんかは他のゲームではなかなか味わえない。

ところでこのゲーム、元々PS2で発表されたゲームなのだが、ボリュームは薄めだ。初めてプレイしたのは小学4年生か5年生か。その当時でも3時間を切った。慣れてくると2時間弱でクリアできる。10年以上のブランクがある今回も、2時間ちょっとでクリアできた。加山雄三などは1時間とかからないそうだ。すごい。続編となる鬼武者2、鬼武者3はだいたい5時間から10時間、新鬼武者DAWN OF DREAMSは20時間くらいかかっただろうか。それを思えば、1時間から3時間程度というのはかなり短い。ジャンルは全く違うが、前世代のハードで出たドラクエ7なんかは初見プレイ時に100時間近くかかったことを考えると、時代に依存するものでもないと思う。

ここで僕が言いたいのは、決して批判的意見ではない。ボリューム感はゲームの面白さの本質ではないし、なんなら周回プレイがしやすくて評価できる部分でもある本当に言いたいのは、クリア時間が変わらないという点である。

29歳、アラサー。年々感じていることに、反射スピードと記憶力の低下がある。頭でわかっているのに、体が動かない。歩いていてふらついたとわかっているのに、足を出せない。あるいは、新しい仕事が身につくのに時間がかかる。仕事以外の知識も定着しづらいといった具合だ。ゲームで言えば、たとえばFPSで敵がいるとわかっているのに撃てない、引けない、動けない。あるいは、アイテムやキャラクターの見た目と名前が覚えられない。ボタン配置が覚えられない。ゲームについていけなくなっている自分がいるのだ。

しかし、それはそれで受け入れているし、下手は下手なりにゲームを楽しんでいる。ゲームの楽しみ方は人それぞれだし、年齢や能力相応の楽しみ方もあるだろう。

ところでだ。それだけ反射スピードと記憶力が衰えている自分なのに、なぜか鬼武者のプレイ時間は、頭より先に体が動いていた小学生時代と変わらないのだ。

鬼武者はアクションゲームである。それはつまり、反射スピードがある程度必要になるということだ。敵の動きを察知し、攻撃や防御といった適切な行動をする。この繰り返しだ。実際、冒頭でも話した通り、鬼武者とは一閃というシステムがある。「敵の攻撃が当たる直前に攻撃する一閃」と「パリィして攻撃する弾き一閃」があり、雑魚敵なら一撃で倒せるというやつだ。アクションゲームにありがちなカウンター攻撃である。完全に反射スピードが要求されるやつだ。

そんなゲームを今やったら、まあ悲惨なことになる。昨年買った死にゲーとして有名なSEKIROは、1周目のクリアまで1年かかった。まあ、さすがの自分も実際のプレイ時間でここまでかかったわけじゃない。間に他のゲームをやっていたり、そもそもゲームをやっていなかったり。そういった「プレイしていない期間」も含めて1年だ。プレイ時間だけで言えば数十時間だとは思う。雑魚に殺され、中ボスに殺され、ラスボスに殺されまくった。今年買ったゴーストオブツシマは間を空けずに一気にクリアしたが、こちらも70時間くらいはかかっただろうか。SEKIROほどの死にゲーではないので、反射スピードもそこまで必要ない。しかし、鬼武者でいう弾き一閃システムに近いものはあるし、戦闘中に頻繁に型を変えたり暗器を使ったりする。こちらは特に後者の覚えが悪かった。R2押すんだっけ?L2押すんだっけ?とか、方向キーはどれがどれに対応してたっけ、と言う具合だ。反射スピードの低下、記憶への定着スピードの低下を感じる。スピーディに切り替えられるようになる頃には、コトゥン・ハーンが死んでいた。

前フリが長くて悪いが、鬼武者の話に戻そう。前述の通り、クリア時間が変わらなかった。実際、プレイ中にもほとんどブランクを感じる場面はなかった。各種敵の一閃のタイミングはほぼ全て感覚と理屈の両面で完全に覚えていたし、隠しアイテムである蛍石の位置も覚えていた。謎解きが必要な宝箱など、キー操作そのものを覚えていた。赤魂いくつで龍玉(この龍玉という名称も作中ではかなり目立たない豆知識的な名称だ)が強化されるかも覚えていたし、敵の名前も全部覚えていた。魔空空間の効率的なクリアの方法も覚えていたし、「カブトムシ」や「鯉」といったプレイにはなんの影響も及ぼさない裏技的なものも覚えていた。

どう考えても、小学生時代にプレイしまくり、解体真書(分厚い攻略本)を隅から隅まで読みまくった賜物だろう。それ以外考えられない。感覚で覚え、理屈で覚え、何周したかわからないくらいプレイした。そんなゲームだ。そりゃあ、覚えている。すべて覚えている。九九のごとく覚えている。

似た事例として、ポケモンが挙げられる。アラサー世代の僕は小学生時代、ご多分に漏れず初代および金銀、いわゆる第一世代と第二世代を狂ったようにプレイしていた。今もポケモンは続けている生粋のポケモントレーナーと言っても差し支えないと思っているのだが、実は一時離れていたことがある。小6から中2にかけて、ちょうどゲームボーイアドバンスが発売され、ポケモンも第三世代へ移ったころのことだ。当時の僕にとってゲームは親から買ってもらうもので、それも誕生日やクリスマスといった限定的なタイミングだけだった。忘れもしない、小学6年生のクリスマス。サンタさんという名の親に、僕はゲームボーイアドバンスをねだった。枕元に置かれていたのは図書券だった。この時ばかりは親を呪った。翌年からはクリスマスプレゼント自体が無くなった。小学生で卒業だそうだ。じゃあ最後まで夢を見せてくれてもいいじゃないか。話が逸れた。そういった経緯から、僕がポケモンに復帰したのは、中3の頃になる。友人が要らないからと、ゲームボーイアドバンスとポケモンサファイアをタダでくれた。なんて優しいやつだ。

ところで、その頃僕は野球に夢中だった。大して上手くもなかったが、部活には真面目に出ていた。家にいても空き時間があればなにかしらの練習やトレーニングをしていた。結果は伴わなかったが、まあそれは今は関係ない。だから、ゲームをする時間は小学生時代よりかなり減った。それでもポケモンは面白かったし、高校時代に出た第四世代以降は再びリアルタイムで体験していくことになった。

しかし、である。リアルタイムで体験し、しかも新しいはずの記憶も、小学生時代の記憶に及ばないのだ。第二世代までのポケモンは、鳴き声だけで名前がわかる。初代のポケモンのうち、一部同じ、あるいは似た鳴き声の子たちは例外だが。第三世代以降は、鳴き声で連想するどころか、姿を見ても名前がわからないものまでいる。セレクトバグは今でも調べずに再現できる。第二世代以前はどのポケモンがどこで出現するかわかる。第三世代以降は分布を見ないとわからない子が増えた。ジムリーダーや四天王などの名前も、第二世代以前と第三世代以降で記憶の明瞭さが違う。というかあれだ、名前全般の覚えが悪くなった。

これは間違いなく、小学生時代の狂ったようなプレイスタイルと、中学生以降の他に移った興味の問題だろう。第二世代までのポケモンは何度となく周回した。第三世代以降は道具の回収などで必要にならない限り周回プレイはしなかった。(必要ならするというプレイスタイルも、それはそれでいわゆる廃人寄りな気もするが) 小学校では毎日のようにポケモンの話題が出てきた。中学校以降では圧倒的に頻度が減った。代わりに野球の話、人間関係の話、ペン回しの話、ラジオの話なんかが加わっていた。

小学校に通う6年間。それは長いようでいて短く、そしてあまりにも濃密な6年間だ。そして、小学生という生き物は、大人以上の熱中力、集中力を見せる。物事を覚えるということに関しては、小学生時代に興味を持った分野以上に覚えられることは無いだろう。それくらい、小学生の興味と記憶の定着力はすさまじい。無限と錯覚するような、しかし短い時間を生きる小学生は、可能性の塊だ。別に将来のことを考えろとは言わない。ただ好きなことをやるべきだし、自然とそうしてきた。それこそが人生を豊かにする土台のピースとなる。

僕は小学生時代、間違いなくゲームに夢中だった。今挙げた鬼武者、ポケモンだけじゃない。64ゼルダ、ロックマンDASH、スマブラ、その他諸々。当時やっていたゲームのほとんどは、今でもスピーディにプレイできるし、細かい知識まで身についている。久しぶりにゲームを起動するだけで、当時の思い出が蘇る。それはゲームそのものにまつわる思い出もあれば、ゲームの前にいた僕や友達との人間関係の思い出だったり、あるいはゲームをやっていた頃のゲームから離れた部分での思い出さえも含まれる。このゲームはあいつとよくやった、こっちのゲームはあそこに住んでいた頃にやった、これはあの人に教えてもらった、リアルファイトにまで発展したーー。

ゲームは、思い出のアルバムだ。
大人になった今プレイしているゲームも、いつかはまたアルバムの中の一枚の写真になるだろう。
僕はおじいちゃんになっても、ゲームを心から楽しんでいたい。

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