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けっきょくやっぱり絵を描いている。

イラストレーターになれたらいいのかなぁ、と思っていた時期がある。「なれたらいいのかなぁ」となんとも煮え切らない姿勢なのは、イラストレーターという職業の具体的な姿があまりにも見えていなかったからだ。

確かだったのは、会社に勤めたり公務員であったりするような雇われる仕事がどうにも向いていないようだ、ということと、絵を描くのは好きだなぁ、ということだけだった。画家や漫画家は無理な気がするけれど、どうやらそれ以外にも「イラストレーター」という仕事がありそうだ、ということに気づいた頃から、私の気持ちは秘かに「イラストレーターになれたらいいのかなぁ」に傾いていった。

とはいえ、専門教育を受けていないという以前に、専門教育を受けている人たちほどの量を描いていない自分の絵の力量が、まったくその域に達していないことは痛いほど感じていた。10代の吸収力の高い時代に絵を学ぶという選択ができなかったことを悔やみつつ、それでも細々と独学で学び続けていた。


高校生の頃、私が行くことができた田舎の本屋にはイラストレーションの本などなかった。自分の身近にイラストレーターやそれに近い職業を営んでいるような人も見当たらなかった。大人になり、東京に行って、大きな書店にあまたの芸術系の雑誌が並んでいるのを見て愕然とした。世の中にはこんなにたくさんの種類の本があったのか。都会に住んでいる人たちは10代の頃からこんな本を目にすることができていたのか。あまりにも情報量が違いすぎる。こんなの、かなうわけない。

時は流れ、ついに私はインターネット常時接続という環境を得る。文字通り、世界がぐわっと広がった気がした。リアルな知り合いにイラストレーターなど一人もいない。けれどインターネットがあればイラストレーターに関する世界に触れられる「可能性がある」!

そして私は確かにイラストレーターに関する世界に近づき、その具体的な姿と自分との溝の深さをも知ることになる。


そうこうしているうちに私の人生はのっぴきならない状況に陥った。モノにならない絵など描いている場合ではない。とにかく生きていかねばならぬ。「生きていく」ことに振り切った私は、多くの画材を手放した。

イラストレーターとして仕事をされている人たちは、ほんとうに、すごい。自分にはとてもあの仕事ができる力はない。

そう諦めてまったく違う仕事に打ち込んでいる中で、グラフィックデザイン的な業務も手掛けるようになった。それが楽しくて嬉しくて。頼まれもしないのに社内で気配を感じると飛んで行って勝手にデザイン業務を買って出るようになった。

プロに頼む予算がつかないからこそ社員である私がやらせてもらえる仕事だ。当然お金も時間もかけられない。適切なフリー画像がなかなか見つからない、と必要に迫られて描いた小さなカットイラストが、いつの間にかじわじわと社内データにストックされていった。

その後、散々お世話になったその会社を辞めてグラフィックデザイナーとして独立するという道を選んだわけだが、辞める時に「ちょろっと絵を描いてくれてたのが結構ありがたかったよ」と声をかけられてびっくりした。そうなのか。なにか、心の奥に、小さくぽっと火を灯してもらった気がした。


私が仕事として責任を持って絵を描く、ということについては、あまりにも不安定だと感じている。それよりも「グラフィカルにデザインを構築する」ということの方がきちんと「仕事」として安定して遂行できる。そう判断してイラストレーターではなくグラフィックデザイナーと名乗ることにした。それは実に適切だと思っている。

でも不思議なことに、勝手に好きで描いた絵がほめられたり、仕事として依頼してくださる方が現れたりして、なんだかくすぐったいような、ほっとするような不思議な安堵感に包まれている。


素直に描きたいという気持ちで絵を描くことができる。その状況は、それだけで、かなり幸せなことなのだと思う。

だから、いま私は、結構まだまだ大きな問題を抱えてはいるのだけれど、実はかなり幸せな状態なのではないかなと思う。

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