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【短編】「影」_Simplicity of the world, Complexity of the life. 078

 炎天下。公園でベンチに座っていたら影が話しかけてきた。

 大学を卒業してそれなりの就職先に就職したものの、研修が終わり現場に配属され仕事を始めた僕は社会の厳しさとやらに直面し少し疲れていた。本当はもう得意先を訪問する時間が近づいていたのだが、どうしても足が動かなかった。僕の体は石像のようにベンチの上で固まっていた。汗だけが頰を伝い、動いていた。そんな動かない僕の影が語りけてきた。

 「君はよくやっているほうさ」

 影は涼しい顔で(じっさい表情は分からないのだが)僕を元気づけようとしてくれているらしい。

 「いや、何もかもが今までと違うよ」

 「そりゃそうだ。社会人だからね。これまで守られていたものや無視していたものが一斉に吹き出す場所だ。慣れなくて当然だよ」

 「これからやっていく自信がない」

 「大丈夫だよ。君のペースでひとつひとつこなしていけばいい。」

 「やさしいね。君は生まれてからずっと僕のそばにいたね」

 「雨の日以外はね。ああ、影ながら応援している、と、洒落を効かせたいところだけど、そういうわけじゃないよ。僕は君の本体だ」

 「本体?」

 「そう。どちらかというと、そちらの世界が影なんだよ」

 「それはどういうこと?」

 「まあ、そちらの三次元空間というものはこちらの影みたいなものなんだ。こちらの僕がそちらに投影されているのが君なんだよ」

 「君は誰?」

 「僕は君さ」

 僕は暑さとストレスのあまり、幻覚を見ているのだと思い、ベンチを立った。得意先に向かう時間が近づいていた。僕はスマホを取り出し時間を確認した。まだぎりぎり間に合いそうな時間だった。不思議とさっきまでの停滞感は消えていた。僕は歩き出した。

 そして気づいた。太陽が照りつけているにも関わらず、僕には影が落ちていなかった。気づくと、影だけが先に歩いていた。まるで僕を呼ぶかのように。

 僕は汗をぬぐい、自分の影を追って公園の出口まで歩を進めた。


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