【短編】「無通」_Simplicity of the world, Complexity of the life. 072
朝、起きてから体がずっと麻痺している。
動かすことはできるのだが、痛覚がない。ベッドから体を起こし、床に足を着けたところで気がついた。足の裏を床につけているはずなのだが、その感覚がない。しかしながら足は確かに体を支え、身を起こすことができた。
狼狽えていても仕方がないので、痛覚のない体で湯を沸かし、コーヒーを淹れる。コポコポと湯がたぎる音はいつもと変わらず聞こえる。試しに熱湯に満たされたやかんを人差し指でちょんと触ってみたが、やはり、熱さは感じない。カップに満ちたコーヒーを一口、飲む。不思議なことに湯の熱さは感じないのにコーヒーの香りと味は感じる。私の体は一体どうなってしまったのか。
会社に行く前に病院に行くことにしようと考えたが、いったい何科にかかればよいのかも分からない。
疎ましく思われるかもしれないが、この街で一番大きい総合病院に寄ってみよう。
テレビのニュースに耳を傾ける。
大学時代にミスキャンパスに選ばれたらしい若い女性キャスターがニュースを読んでいる。また地方都市で凄惨な事件が起きた。若い命が理不尽な理由で絶たれた。そんな内容のニュースだ。
女性キャスターはあたかもそのニュースがこの世の中にあってはならない、というニュアンスの声色で原稿を読んでいる。あなたも当然そのように思いますよね、という共感をこちらに伝えるようなトーンだ。
私は何も感じない。
そのニュースからは、その女性キャスターの唇がスタジオの照明によって異常に照っていることと、彼女の鎖骨がブラウスの襟首によって強調されていること、眉間に寄せられた細かなシワに化粧が厚く乗りすぎていること。そういった情報しか脳に入って来ない。
心の痛覚も無くなってしまったらしい。
私は総合病院の受付開始時間をスマートフォンで調べ、早めに家を出ることにした。
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