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【短編】「どこでもドア」_Simplicity of the world, Complexity of the life. 074

 夜中に目が覚めた。

 トイレに行こうと、廊下を歩き扉を開けると、そこは海だった。

 むせかえるような潮の香りの中、焼け焦げた白亜の砂浜に足を踏み入れた。便器はどこに行ってしまったのだろうか。振り返るとまるでドラえもんに出てくる「どこでもドア」のように我が家の薄い木製のドアが立っていた。

 幸い砂浜に人はいなかったが、そこで用を足すわけにもいかないので、私は後戻りをし、扉を閉めた。廊下にはまだ潮の香りが残っている。

 軽く目を閉じ、心を落ち着かせる。

 私の求めているものはトイレである。ビーチではない。

 扉を開ける。暗くて狭いガラスの空間だ。目の前をライトをつけた自動車が高速で横切る。どうやらどこかの高速道路の脇に設置された非常用の公衆電話らしい。道路標識には見たことのない言語で表示が書かれている。ここもちがう。私はまた一歩戻り、扉を閉める。

 時空をシェアする空間共有技術は人口が激増した都市における住居空間の適切な配分とインフラストラクチャーの効率化を達成した。だが、我が家のようにメンテナンスを怠るとすぐに異空間に転移してしまうバグをともなう。

 私はただトイレに行きたいだけである。

 休暇を取りたいわけでもなく、エスケープを望んでいるわけでもない。

 ため息をつきながら扉を開ける。求めていた衛生陶器が鎮座する数平米の空間がそこには用意されていた。私はほっとする。

 用を足して、ドアを開ける。

 見たことにない景色が広がっている。砂漠に沈む美しい夕日だ。

 涙が出そうである。

 さてどうしたものか。



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