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【短編】「断人」_Simplicity of the world, Complexity of the life. 075

 この数年、人と話していない。

 知人と呼べる人はいない。

 高校を卒業してから誰とも繋がっていない。

 他界した親の遺産を受け継いだ。

 東京都心の自宅以外の不動産や証券などの金融資産を全て現金に変え、それを生活費として使っている。

 引き籠っていると呼ばれる状態なのか分からないが、コンビニエンスストアやスーパーマーケットで買ったものを食べ、飲み、排泄をし、風呂に入り、一日に一回は部屋の掃除をし、性欲が溜まるとマスターベーションをし、一ヶ月に一度、自分でバリカンを使い坊主にしている。

 その生活が四年ほど続いている。

 誰とも会いたいとも思わないし、何か困ったこともない。ソーシャルネットワークにもアカウントもない。メールアドレスも持っていない。

 寂しさを感じたことはない。

 そういうわけで声帯を使うことはほとんどないのだが、たまに自分の声がどんな声だったか、思い出そうと、声を出してみることがある。

「あ」

 と言ってみる。

 そうか、私の声はこんな声だったか。

 そして使わない声帯はそれからしばらくの間、震えることはない。

 ラジオでニュースを聞いていると、世の中ではいろいろな事件が起き、流行がつくれられ、憎悪や嫉妬が人を攻撃し、様々な思惑が行き交い、愛情がうっすらとその間を流れてゆくのを感じる。

 それらはどこにあるのだろうか。

 夕方の五時になり、その日の夕食を買うために、私はスーパーマーケットに向かった。自宅前の坂を下り、駅へと続く幹線道路に出る。しばし歩くと中規模の全国チェーン店に着く。

 私は自動ドアの前に立った。

 だが、自動ドアは開かない。

 一歩後ろに下がり、もう一度マットに乗った。

 だが、扉は開かない。

 壊れているのだ、と思った。

 私は入り口の脇に立った。

 小学生くらいの娘と母親がその扉の前に立つと、扉は左右に開いた。二人はそのまま店内に入っていった。

 私は、何かの間違えか、と、気づき、自動ドアの前に立った。

 だが、扉は開かない。

 私に反応しないのだ。

 私は思い切って、店先で段ボール箱をたたんでいた若い女性の店員に声をかけることにした。およそ四年ぶりに人に声をかけることになる。

 心拍を抑え、精神を沈め、声をかける。

 「あの、すみません」

 久しぶりに聞く自分の声である。

 店員は振り返るかと思いきや、黙々と段ボール箱をたたみ続けている。

 聞こえなかったらしい。私はもう一度声をかける。今度は大きめに。

 「あの。すみません」

 かなり大きな声が出てしまった。驚かせてしまったら申し訳ない、と思ったが、店員は気づかない。

 私は焦り、大声で叫ぶ。

 「あのう!すみません!」

 私の声は届かない。

 その時、私は自分の立っている場所が、自動ドアの真ん中であることに気づいた。私はずっと自動ドアの前に立っていたのだ。ドアは開かない。

 私はやっと気づく。
 
 私はこの世界に存在していないのだ。



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