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【短編】「穴」_Simplicity of the world, Complexity of the life. 060

 火曜日の真っ昼間。ぽっかりと時間が空いてしまった。予定していた打ち合わせが先方の都合でなくなったのだ。三時間ほど空いた時間を私はどう埋めていいのか分からなかった。私はスケジュールに余裕があると予定を入れてしまうタイプなのだ。

 大学を卒業して小さなグラフィックデザイン事務所にデザイナーとして就職した。仕事は予想通り忙しかった。郵便局の窓口のように時間通りに仕事が始まり、時間通りに終わるものではないことは分かっていた。だがパソコンの画面に向かってありとあらゆるものをデザインする作業は好きだったので苦ではなかった。学生時代もずっとデザインをしていた。数少ない友人に誘われて飲み会に出たこともあったが、性に合わなかった。部屋にこもってデザインをしている方が楽だった。大学の課題のデザイン作業が終わると、ありもしない企業のロゴやポスターをつくったり、頼まれてもいない家具屋や食器などをデザインした。勝手に想像した航空会社の飛行機を考えたこともあった。何もしない、ということができなかったのだ。何もしない、とは、何をどうすればよいのか、分からなかった。

 そういうわけで、十三時から十六時までの三時間は私の心にもぽっかりと穴を空けた。私は魂を抜かれたように得意先の近くの喫茶店から出た。洒落た並木道には春風が吹いていた。空は真っ白だった。曇り空ではなく、そこだけ球体のように空がくり抜かれていた。よく見るとドームのように白い空間が空いている。直径三十メートルはあるだろうか。不思議なドームだった。空間に穴が空いていたのだ。野次馬が集まっていた。みな、携帯電話で写真を撮っていた。穴の内側に入ってみた。誰かが危ない、と注意する声が聞こえた。だが私には危ないようには思えなかった。思った通り空間は無害だった。白い球体の底は静かで、内部の表面はさらさらしていて気持ちがよかった。球体と外の空間の境目はガラスのように半透明だった。振り返るとドームの外には誰もいなくなっていた。私は球体の底にぺたんと座った。携帯電話を取り出すと電源が入らなかった。ここはいい。何もしなくてすむ。何もしないことしかできない。なぜならば何もできないからだ。

 私はぽっかりと空いてしまった三時間をこの金魚鉢の底のような白い空洞で過ごすことにした。何も聞こえないし誰も入ってこない。何かをしようとしても何もできない空間。何の記号も情報もなく何も脳のシナプスを刺激しない時間。私はこの空間が気に入り目を閉じた。空間は白から黒に変わった。ゆっくりと息を吐いた。吸ったのかもしれない。この空間から出たくないと思った。同時に出る方法も分からなかった。だがそれでもいいと思った。ずっとこの空間にいればいい。外に出たところでわたしは空いた時間の埋め方を知らないのだ。

 時間を埋めるってなんだろう。どうして私は時間を埋めたいのだろう。埋まらない時間は何のための時間なんだろう。何もかもが分からなくなったが何もかもがどうでもよく思えた。空いた時間はいつまでも空いたままだし、空いた空間はどこまでも空いたままなのだ。音は聞こえなかった。私はまどろむこともなくずっと球体の定点にひとり座っていた。



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