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【短編】「Mr.Sano&Ms.Uno」_Simplicity of the world, Complexity of the life. 018

 右脳と左脳の交差点で、僕は彼女を待っていたが、彼女は一向に来る気配がない。

 彼女は、まるで菩提樹の花の周りを縦横無尽に飛ぶミツバチのように気まぐれだから、時間通りに来るわけはないとは分かっていたけれど、3600まで数えた数字たちだってさすがにH2Oの微かな香りを残して、すべて蒸発してしまった。

 あとはポケットに入っている7つのサイコロでも振って、出た目の和と標準偏差を照らし合わせながらぼんやりしていようかと思ったけれど、なんだかそんな気分にもなれない。

 なぜなら僕は恋をしていた。

 彼女に出会ったのは、小学生の頃、初めて階段の絵を描いた時だった。それまで僕は階段というものは平面にヨコタテヨコタテ、と線分を繰り返し引くもので構成されているとばかり考えていた。

 でも、真っ白い画用紙を前にした時、突然、彼女と出会った。階段という構造物は奥行きを持ち、まるで万華鏡がその像を無限に増殖させるかのように階段は立体として立ち上がり、その螺旋は成層圏を越え虹の彼方まで伸びていったのだった。

 それ以来、僕は彼女との共同作業を増やしてゆき、僕の考える論理的な思考と、彼女の持つ超感覚的な感性によって人生の様々なハードルをなんとか越えることに成功して来たのだ。

 もちろん、万事が万事うまくいったわけではなく、時に彼女の持つ特有の気性の荒さ、それは感情的な波と言ってもいい、に振り回されたことも少なくなかった。彼女には言葉と言うものは通用しないのだ。そんな時は、素直に諦めて、二人ともそれぞれの脳に帰り、寝ることにしていた。翌朝には、前日のことなど真っ暗闇の井戸の底に捨ててきた彼女の笑顔に出会うことができた。

 そんな彼女にいつしか僕は惹かれていた。

 どうやら一説によると人は自分の欠損部分をもつ人に魅力を感じるそうだ。もちろん、彼女は僕とは正反対で、そんな彼女に僕は恋をしていた。

 そんな彼女を待てども、いっこうに彼女の姿は現れない。今日は大事な日だった。なぜなら僕と彼女が力を合わせて、愛する人に気持ちを伝える日だったからだ。

 もしも、そんな大事なミッションを一人で背負うことになったらと想像して僕は寒気がした。もしもそんなことになったら、きっと、なぜ僕があなたを好きか、と言うことに関して、400時字原稿用紙が1万枚あっても足りないくらいの手紙を書くに違いない。あるいは数学的な証明を持ってして、愛を記述しかねない。そんなのはあり得ない。

 僕は迷った末、右脳に向かう道を歩き始めた。彼女のいる場所へ向かうために。

 右脳にある彼女の家に着くのにはずいぶんと骨が折れた。右脳には何の表示板も無く、誰に聞いても、あっち、とかあのへん、とかしか答えが返ってこないのだ。

 どうにかこうにか、以前彼女が言っていた、夕日が最も輝く場所というヒントを手がかりになんとか彼女の家をにたどり着いた時には、夕日が沈む直前で、なんとかチャイムを押すと、彼女はインターホン越しに寝ぼけた声で、答えた。

 「ごめん、今何時?」

 僕は呆れを通り越し、ほっとして、17時55分だよ。あと5分でプロポーズの時間だよ。と伝えると、彼女は慌てて着の身着のまま、出て来て、何度も謝った。

 「ごめんごめんごめん。どうしよう?」

 「大丈夫だよ。ふたりで気持ちを伝えれば」

 「いつもありがとね」

 「僕のほうこそ、キミがいないと何もできない」

 僕たちは沈みかけの夕日が空を宇宙色に染めるその空間で、お互いの気持ちを分かり合うと、なぜかしらこれから伝えようとする気持ちに何の迷いもなく、伝えることができるという自信が芽生えてきた。

 何かを伝えるということに関して、二人でいれば、何も怖いものはない、と心から思えた。

 あとは、それを僕が言葉にして、相手に伝えるだけだ。

 きっとうまくいくだろう。


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