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【短編】「猫月」_Simplicity of the world, Complexity of the life. 071

 木崎はボロ切れのようになるまで働き、リビングの小さなソファに倒れこんだ。スネから先は宙に浮いている。時計は2時を回ったところだ。政府の方針とは裏腹に現場は過酷だ。労働環境改革とは南十字星かそこらで起きている話にしか聞こえない。

 ソファで裏返る。窓の外には月が満ちている。この時間の月の視聴率は極めて低そうだ。

 シトシトとヤスケが寄ってきた。8年前に行き場を失った猫だ。欠伸をしながら木崎の腹の上に座った。

 木崎はヤスケの背を撫でた。のわん、と柔らかい声が柔らかい腹から響いた。

 ヤスケも宇宙を見ている。

 深夜を映す猫の瞳孔は広い。

 お前も月が好きなのか、と木崎は聞いた。

 好きだ、でもね。

 ヤスケが呟いた。

 君たち人間が見ている宇宙と我々猫が見ている宇宙は別の宇宙だ。つまり、君の見ている月と私の見ている月はベツモノなんだよ。

 木崎は、ヤスケの言っていることがよく分からなかったが、天空に穿たれた真円の月を眺めていたら、そういうこともあるのだろう、という気になった。

 猫には猫の宇宙があり、人間には人間の宇宙しかないのだ。

 それでいいじゃないか。

 まどろみの中で木崎は、いつか転生したら猫の見る月を見てみたい、と思った。


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