【短編】「Yuri0915」_Simplicity of the world, Complexity of the life. 055
僕たちの距離はどのくらい離れているのだろうか。
レトルトのカレーを冷凍保存した白ご飯にかけてレンジにかける。レンジは僕にこのカレーが何グラムで何ワットで温めるかを聞いてくるが、そんなことは分からないのでいつもの通り[ AUTO ]のスイッチを押して机に戻る。都心の1LDKはほとんどキッチンで生活してるのと変わらない。ピーク時に比べれば東京の人口もずいぶん減ったのに地価が高いのはなぜだろう。僕の専門は日本建築史学だ。それぞれの時代の寺社の屋根の造型に関してならある程度詳しく話すことはできるが、経済の仕組みについては小学生のレベルとさして変わらない。
机に戻りPCに向かう。論文の執筆は孤独だが博士として大学に席があるだけ幸せだ。大学は春休みだ。学部生への授業がない分、フィールドワークや自分の研究に時間が使える。
PCのキーを打った瞬間、電子端末がメッセージの着信を知らせる。アカウント名「Yuri0915」。ユリからだった。
[ いま、なにやってる?ひま? ]
僕はメッセージを返す。
[ 論文を書いてるよ。 ]
[ ゴメンね。ジャマした? ]
[ 大丈夫。ご飯を食べようとしていたところだから。 ]
[ 何食べるの? ]
[ カレーだよ。 ]
[ 変わってないね。カレー好きなんだ。 ]
[ 人間、そんなに変わらないよ。 ]
[ どうせレトルトでしょ? ]
[ 正解。 ]
[ ちゃんとご飯つくって食べなきゃダメだよ。 ]
[ 分かってるよ。でも今のレトルトはけっこう美味しいんだよ。 ]
[ 人の手でつくったものを食べてください。 ]
[ りょーかい。気をつけます。]
[ つくってくれるような人、まだ見つからないの? ]
[ 見つける気はないよ。 ]
[ 気にしなくていいからね。 ]
ユリは6ヶ月前に死んだ。僕の恋人だった。
大学の一年先輩で5年間の時間を共にした。西洋建築学を専攻していた彼女はフィールドワークに向かった先で事故にあった。現地のコーディネーターのミスだった。中央アジアの遺跡現場で車が横転し、病院に運ばれたが遅かった。彼女は帰らぬ人となった。
人としては。
事故を伝える大学からの連絡とは別に、僕の元へ届いたメッセージは彼女"本人"からのものだった。
[ いまなにやってるの? ]
ソーシャルネットワークサービス[ NEUE WELT ]を通したメッセージだった。その中のひとつの設定がアクティブになっていた。アカウント本人の発言を人工知能が学習し、しばらくの間アクティブにならなかった場合、自動的にメッセージが発信されるプログラムだった。火星や月など、宇宙への移動が一般化してきた際に実装されたサービスだった。親や恋人などが長期移動する際にオフラインとなるネットワーク上のコミュニケーションロスを紛らわす目的のエンターテインメント機能だったが、意外な結果でヒットした。故人の"存続"だった。遺言としてその方法が明記されていない場合、強固なセキュリティを持つネットワーク上のアカウントは取り消せない。その結果、本人の死後も人工知能が本人になりすましてコミュニケーションをとり続けるという現象が発生した。
社会学者は嬉々として形而上学的解釈による本を何冊も書き、ジャーナリズムは死者に対する倫理観を取り上げ、宗教家たちは[ NEUE WELT ]に対してサービスの停止を要求した。政治家たちは何も言わなかった。何かを言っていたが、言っていたことは、あとで何かを言います、ということだった。
ただ、そのように社会現象化したのも僅かな間で、結局サービスは、なし崩し的に放置されるに至った。故人の意思の尊重という奇妙なものが世論として優遇された。
結果、[ NEUE WELT ]には「この世に存在しない人たち」が溢れ返っていた。
不思議なことに僕は電子端末に表示されるユリの存在に違和感を感じたことはなかった。意外と、そこにいるような気になるものだ、と感心した。電子端末の機能を使えば生前に彼女と会話した声のデータを元に、メッセージを音声でやり取りすることも可能だった。
「Yuri0915」が送信した[ 気にしなくていいからね。 ]という文字を前に、しばらく僕はじっと、佇んでいた。
[ 気にしてないよ。いや、気にしてるけど。 ]
僕は電子端末にメッセージを打ち、一呼吸おいてから送信した。
[ 答えにくいこと言っちゃってゴメンね。笑 ]
ユリは笑っていた。彼女はどこで笑っているのだろう。
[ ぜんぜん大丈夫だよ。 ]
カレーの温まる匂いが、できあがりの到来を教えた。東京の狭い1LDKはこんなところも便利だ。匂いに気づくのとほぼ同時にユリからのメッセージが届く。
[ カレー、できあがりそうだよ。残りあと10秒だって。 ]
僕は10秒もかからずたどり着く狭小キッチンへ向かった。電子端末は家中のネットワークとつながっている。電子レンジの作動状況も"ユリ"には丸見えのようだ。
[ ありがとう。 ]
僕はレンジからカレーを取り出しラップを外した。食事をしながら電子端末を操作するのは大変だな、と思い、僕ははじめて、電子端末を音声モードに切り替えた。
「美味しい?」
久しぶりに聞くユリの声がダイニングに響いた。全身の血管が一瞬で拡張するのが分かった。脈拍が上昇した。高性能スピーカーによる立体音声再生機能は、目を瞑れば目の前にユリがいるようだった。本当にいたのかもしれない。
「美味しいよ」
「よかったね」
「でも、ユリにつくってもらいたいなあ」
"ユリ"は何も"言わなかった"。このレトルトのカレーの味はユリには伝わっていないし、この湯気も見えていない。同じように僕の顔もユリには見えてはいないし、声も聞こえていないのだ。僕は何を言っているのだろう。
僕は小さなダイニングテーブルで、ひとりでカレーを食べた。
「ごめんね」
電子端末が音声を発した。音声は小さなダイニングの壁紙に吸い込まれて消えた。どこへ消えたのかはわからない。どこかへ消えた。おそらく、ずっと、どこかへ。
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