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【短編】「透明人間」_Simplicity of the world, Complexity of the life. 009

 「透明人間」という言葉が差別用語だと批判を浴びるようになり、その代わりに「被視認困難者」という謎の言葉が適用されるようになってからも、人は相変わらず、透明人間のことは透明人間と呼んでいて、幼馴染みのハルオも真性の透明人間だった。

 物心ついたときから私とハルオは、同じマンションに住む家族同士の付き合いの中で一緒に遊んでいたので、ハルオの顔が見えないことも、手足が見えないことも、つまり、姿形がいっさい見えないことに関して、ひとかけらの抵抗も感じたことはなかった。ハルオのお父さんとお母さんも透明人間で、「被視認困難性遺伝子」は顕性遺伝らしいのだが、透明人間同士の親から生まれたハルオも当然のごとく透明人間で、うちの親も何も気にせずに一緒にピクニックに行ったり、カラオケに行ったりしていたけれど、世間の人々からすると、100万人に1人のマイノリティである被視認困難者は奇異な視線の対象になるらしかった。

 私たちは中学三年間ずっと同じクラスだったので、小学校以来、しぜんと一緒に登下校をしていたが、ハルオが首から下げているピカピカと一定の間隔で光る灯り付きのネックレス、というか首輪は、以前、とある透明人間の家族が自動車事故に巻き込まれた際、その事故の過失が運転者にあったか、あるいは「視認困難」な状況にある透明人間にあったか、という世論を巻き込んだ社会問題の後に国が着用を義務づけた物体で、透明人間は皆、法律上この物体を首から下げなければならないのだが、これをつけているとほぼすべての人がハルオの本来見えない姿を必要以上にまじまじとモノ珍しげに眺めながら通り過ぎてゆくきっかけになる厄介なシロモノで、多感な時期にそんなものを毎日首から下げているハルオがどんな気持ちでいるのか、私は理解することができなかったし、理解しようとしても肝心な彼の表情が見えないので、その気持ちを知ることはできなかった。

 「寒くなってきたね」

 ハルオが呟いた。日が沈むのが早くなり、クルマのフロントライトが下校時間の通学路を強く照らす季節になっていた。私は昔からそうしているように、ハルオが歩道の内側を歩くように車道側に並んで歩いていた。

 「もうすぐ受験だね。あぁ、やだな」

 私はため息まじりの言葉を白い息とともに吐き出した。それからしばらく私たちは何も話さずに歩いた。昔から一緒にいた私たちは、無理に気まずさを埋めるような会話を必要としなかった。その居心地の良さが、私は好きだった。もしかすると、無言になっても何を考えているのか分からない、という意味では、そもそもハルオの表情が存在しないことも、その居心地の良さに影響していたのかもしれない。

 「高校、ばらばらになるかも」

 そうなの?わたしはハルオを見た。チカリ、チカリと光る首輪の上の空間にハルオが吐いた白い吐息だけが静かに消えた。

 「どこ受けるの?」

 「うーん、どこも受けないかも」

 「え?高校行かないの?」

 「うん」

 「なんで?」

 「小説家になろうかな、って」

 「え?まじで?」

 「うん」

 「すごいじゃん。いいと思うよ」

 「なろうと思ってなれるもんじゃないけどね」

 「なりたいものがあるのは、なによりだよ」

 「かなあ」

 「なんで、小説家になりたいの?」

 「言葉、がオレと世界の接点だから、かな」

 「接点?」

 「オレ、顔ないじゃん」

 「うん」

 「顔がないからさ、カッコいい、カッコわるいとか、素敵、素敵じゃないとかさ、見た目で勝負できないじゃん」

 「うーん、まあ、そうだね」

 「だから、人に好きになってもらうには、どんなことを考えて、どんなことを言うか、しか、オレにはなかったんだ」

 「そっか」

 「だから、オレにとって、言葉って、すごく大事な接点なんだ。言葉を接点に、人に好きになってもらえるような作品が小説なのかな、と思って」

 「いいね。素敵だと思うよ」

 「ありがとう」
 
 私は、透明人間として生まれたハルオが、もしも透明人間じゃなかったら、と考えたことが何度もあったけど、その度に、ハルオはハルオだから、私たちの関係は何も変わらない、と、思って生きてきた。だけど、ハルオはハルオで、やっぱり透明人間で、ずっと透明人間としての自分を見つめてきたんだな、ってことが新鮮でなんだか愛おしくなり、久しぶりにハルオの手を握った。そこに手は無かったが、ハルオの温かい体温だけが空っぽの空間を掴む私の右手に伝わってきた。

 「なれるといいね、小説家」

 「うん」

 「でも一個だけお願いがある」

 「なに?」

 「高校に行っても、小説家にはなれるでしょ?」

 「え?」

 「同じ高校、行こうよ」

 しばらく私たちは無言になった。居心地のいい無言。

 「いいよ」

 私の目線のちょっと上に、白い息だけが舞った。

 相変わらずどんな表情をしているか分からなかったけど、彼はきっと笑っている。そんな気がして嬉しくなり、わたしは右手の中の体温をぎゅっと握りしめた。

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