アラフィフ育児 ケース1「願いを叶えられない」 〜腰に爆弾を抱えている私にとってたかいたかいを要求するムスメたちは爆弾魔に等しいのだと思った話〜
45歳で第一子を授かった。47歳で第二子が誕生した。
そして今、池田テツヒロ、50歳。
目がかすみ、耳が遠くなり、人の名前がすぐに出なくなり、夜中にトイレに起きるし、お酒を飲むと疲れる始末。
今、上のムスメ5歳。下の娘3歳。
ムスメが成長すると私が老いる。当然も当然の話。だけどああ、お願いだから、父をもっと労って、ムスメ達よ!
そもそも腰が弱いのだ。
初めてギックリ腰になったのは中学生の時。
しずかちゃんばりに風呂が好きだった私は、学校帰りの午後三時に昼風呂をキメていた。
まだ明るい外の光に満ちた風呂場。窓からの光が湯気を照らしていた。
とても優雅な時間だった。
そして、鼻歌交じりで湯船からあがった時、なんの予兆もなく私は、床に崩れ落ちた。
「あれ……」
そして全裸の私は、足を授かったアリエルのように、しばらくマーメイドポーズで固まっていた。
「うごけない……」
両親は共働きで、妹もその時はいなくて、私はひとりで、じりじりとリビングに四つん這いで進み、ひいひい言いながら服を着た。
それからというもの、ギックリ腰が癖になった。
劇団員だった時、他劇団のパンフレットに織り込む為に、10キロ近い公演チラシを背負って、地下鉄を乗り継ぎ、劇場へむかった。
その夜、くしゃみをしたら、その弾みで動けなくなった。
トイレに行くことも出来ず、漏らすことを覚悟した。
幸い、4時間後に寝返りをうつことができ、5時間後にトイレへ到着した。
全く動けなくなる恐怖を味わった夜だった。
三十代、ある夏の日。
壁に刺さった画鋲を抜こうとして、背中がビキッと固まって、そのままベッドに倒れ込み、その格好のまま動けなくなった。
次の日、照明設営のバイトが入っていたが、朝になっても立ち上がれなくて「行けません」と電話したら、「這ってでも来い!」と言われて、家にあった傘を杖がわりにして、横浜まで向かった。
照明コードのコンセントはかなり大きくて、抜くのも挿すのもひと苦労。
「ふうううううううん!」
と脂汗垂らしながらコードをつなげた。
「いつまで仮病続けてんだ。そんな演技いらないから」
そう言った上司を私は今でも許してない……。
そう、私は腰に爆弾を抱えて生きている。
くすぶり続ける導火線に火が点かないように、慎重に日々を過ごしてきた。
舞台設営の時は舞台監督に事情を説明し、重たい荷物を運ばないセクションに回して貰った。身体の重心を真ん中にするために、肩がけの鞄は避けて、リュックにしている。椅子は座り心地にこだわり、ベッドマットも腰痛予防の高価なマットを使っている。
なのにムスメ達はそんな事情を知らず……
と、たかいたかいをねだられる。
しかも、しょっちゅう!
腰痛持ちなら、まずは一度、断る案件。
もしくは違う遊びに誘う作戦。
だけど、大概収まらない。
仕方なく「三回だけだよ」なんて言って、お茶を濁す。
うん、そうね、物足りなさそうな顔している、絶対。
だけど妻が「パパは腰が弱いからね」とフォローしてくれるから、
ムスメたちは渋々諦める。
若いパパ友が「よーし!」なんて言って10回連続でたかいたかいしてくれたりすると、もう、ムスメ達、大はしゃぎ。
せつないよね。マジで。
だから私、鍛えるべく、とりあえずSwitchのリングフィットアドベンチャーをポチりました。
楽しみながら、鍛える作戦です。
だけどこれでまた、アラフィフの苦悩が増える事になろうとは……。
だけどさあ、ムスメ達よ、
なんでこんなに好きなの?
たかいたかいがっ!
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