ショートストーリー集『ミックスサンドイッチ』より『賭け詩師(ポエムし)伝』
この度、私が書きました短編小説集『ミックスサンドイッチ』が電子書籍となって復活いたしました。
せっかく書いた小説だもの、できれば多くの方に読んでいただきたい。
でも、その為には、どうしたらいいのだろう……と途方に暮れる私に、徳間書店の元担当編集者、大久保さんが助け船を出してくださいました。
「noteに何編か載せるのはいかがでしょう?」と。
という訳で『ミックスサンドイッチ』の中から、厳選した三編をnoteにて公開させていただくことにしたのです。
『賭け詩師伝』
歌舞伎町の外れにある雑居ビル。俺はその地下へ降りていく。そのじっとりと濡れた闇が続く階段には、薄汚れた俳優のプロフィールが所狭しと何重にも貼られている。特技、居合。『グッドイブニング』再現ドラマ出演。普通免許取得。そんなものなんのメリットにもなりゃしない。俺はこの世界の厳しさを痛いほど味わってきた。
俺は以前、『小劇場』と呼ばれるアマチュア劇団に在籍していた。年に二回の定期公演。公演の合間の短期バイトで稼いだ金は、劇団に納める毎月四万の運営費用と捌ききれなかったチケットノルマの補填で消えていく。約ひと月の稽古期間には、演出家と呼ばれる暴君に、怒鳴られて蹴られて彼女も奪われて、そうして開いた幕はたった九十人の客に見られるだけでひっそりと閉じていく。打ち上げ場所の居酒屋で「よくわからなかった」なんてアンケートを読んでいたら、涙よりも先に血尿が出てしまい、俺は劇団を逃げるように辞めた。残ったのは膨大な借金と、誰かのモノマネの域を脱しない付け焼き刃の演技力だけだった。
しばらく働く気にもなれず下北沢の街をふらふらしていたそんなある日、俺は道の真ん中に小劇場のフライヤーの束が捨てられ踏みつけられ散らばっているのを見つけた。
「この束を作るのに何人の俺みたいな下っ端劇団員が必要になると思っているんだ!」
気がつくと俺は、無我夢中でその散乱したフライヤーをかき集めていた。その束の中に『高給。求む、演技力』というフライヤーがあるのを見つけた時、俺の人生は大きく変わったのだ。
地下にある扉を開けると、そこはよくあるスナックだ。戻す前の干瓢といった感のママと、演歌を大音量で歌う禿のサラリーマンがいる。そのふたりの目は異様に死んでいる。それもそうだろう。客はずうっと彼だけだし、彼もずうっと同じ演歌を歌い続けているのだから。俺はママに手を挙げて挨拶し、関係者以外立ち入り禁止と書かれたドアの前に立つ。ママがカラオケのリモコンに番号を入力し転送ボタンを押すと、ビィと音がして鍵が開いた。その見た目とはほど遠い、重たいドアを開くと、むんとした空気と共に殺気だった喧噪が流れ出してきた。俺は袖から舞台へと一歩踏み出す時のような冷たい緊張を全身に感じながら部屋に入り、ドアを閉めた。
中はビルの外観からは想像できない広さだ。
箱馬と平台と呼ばれる、木で作った装置を使ったひな壇が部屋の中心から四方の壁へとせり上がっている。小劇場の客席が四つくっついたような恰好だ。そこに薄い座布団を敷いて座る男達が、俺を値踏みするように見つめている。だが、集まった客は芝居を見に来ているわけではない。なぜならここは賭博場なのだから。
俺は真剣師だ。
真剣師とは金を賭けて将棋や囲碁、麻雀をする輩の事だが、俺の場合は少し変わっている。俺は演技で勝負する。しかも朗読という形で。
ルールは至ってシンプルだ。五冊の本を持ってきて、対戦相手の顔を見てから一冊選び、それを持ち時間が切れるまで朗読する。時間が来たらチェンジ。今度は相手の朗読時間だ。対戦相手の朗読に感動して俺が泣けば俺の負け。泣かずに持ち時間が過ぎれば、再びチェンジで俺の攻め。本のジャンルはなんでも良い。小説でも伝記でもエッセイでもOK。このギャンブルが生まれた当初は詩集が使われることが多かったらしい。だから皆は俺達の事をこう呼ぶ、
「賭け詩師」と。
対戦相手はすでに部屋の中心、同じく箱馬と平台で作った舞台の上のパイプ椅子に座っている。その男には見覚えがあった。二十年程前にトレンディドラマというジャンルで活躍した後藤とかいう俳優だ。脇役ではあったが何作か続けて出演していたのを覚えている。ルックスの良さだけが魅力で、台詞は棒読み。確か主演女優に手を出したかで干され、それからテレビで見ることはなくなっていた。その時のこっぱずかしい若々しさは影を潜め、顔には苦労の跡が深い皺となって刻まれている。目は落ち着きなく動いていて、見ているこちらが恥ずかしい。
これなら楽勝だ。今日は勝てる。
先週まで戦っていた第四リーグの対戦相手の方が数段強敵だった。『二十億光年の孤独』を読んだ男は谷川俊太郎に顔がそっくりだったし、『よだかの星』を読んだ青年は岩手なまりが胸を打った。『きけわだつみのこえ』を読んだイタコが、書いた本人を降霊した時には危うく涙がこぼれそうになった。そいつらに比べれば今回は楽勝だ。
俺達は発声練習に入った。この時間内に、客はどちらに賭けるか判断する。競馬でいうパドックのようなものだ。
「あいうえおあお」
俺が発声練習を始めた時、とても美しい『外郎売り』が聞こえてきた。対戦相手の後藤の声だった。見ると、あの落ち着きない目が据わっている。いやそれどころか、美しかったルックスの残り香のような長い睫の奥に、透き通るような美しい眼があった。
後藤のオッズが跳ね上がる。俺の心臓が早鐘を打ち、手には汗が湧いてくる。
時間が来た。コイントスが行われ、俺は後攻になった。相手が強敵なら、後攻は不利だ。今までとは違い、場が暖まってからの後攻が有利なんて余裕はない。これからの五分間、相手の攻撃を凌がなくてはならない。
後藤の選んだ本は賃貸物件のフリーペーパーだった。
なぜだ? 俺は動揺した。この動揺を誘うのが相手の作戦だ。単なるはったりに違いない。俺は深呼吸をして、心を落ち着かせた。
後藤が本の小口に指を当て、パラパラとページをめくりだした。「ストップ!」と俺が叫ぶ。後藤はめくるのを止め、指が掛かったページをゆっくりと開き、読み上げだした。
「……東京急行電鉄田園都市線……鷺沼駅徒歩八分……」
後藤の朗読は素晴らしかった。そのページに並んだ物件を賃料が安い方から順番に読んでいくのだが、朗読が進むたびに彼が大志を抱き上京してきた時代、役者として成功した日々、有名女優との幸せな生活、その時その時に後藤が住んだ部屋が生活が、俺にははっきりと見えた。幸せと成功を掴んでいく後藤の十年がはっきりと映像となったのだ。
客も高揚し、身を乗り出した。
そうして後藤は、持ち時間を少し残しそのページを読み終えた。次のページに移った時、俺も、そして客も泣くだろう。きっと後藤は再び安い物件を読み上げて事務所に引き裂かれた恋を切なく悲しく、読み上げるだろう。それを聞いて涙を流さない奴がいるだろうか。俺は負けを覚悟した。せめて、美しい涙を流してやろうじゃないか。
しかし、俺は泣かなかった。
次のページは高級住宅地、たまプラーザ駅の物件だった。いちいち来る「プラーザ」という響きにおかしみが含まれてしまい、客も「うひ」と笑い出す始末。しかもその街はトレンディドラマの撮影地としても有名だった。後藤は動揺し、当時受けた業界での屈辱を思い出して怒りを露にし、自滅した。
そして俺の攻めがやってきた。
俺は後藤の顔を見て『役者名鑑』を選んでいた。どこで指を止めようが後藤は泣いただろう。どのページにも彼が共演した事がある俳優の名前があるのだから。俺はその俳優の真似を完璧にして、緩急をつけてプロフィールを読んだのだ。後藤を慰めるように、時には叱咤するように。俺の演技力は後藤一人に向けられ、後藤はさめざめと泣きだした。
客席がだんだんとざわつき、俺にヤジが飛んでくる。当然だろう、客になんか向けて読んでいないのだから。
だれかが俺に「卑怯者!」と叫んだ。「それでも役者か?」と。
役者じゃねえよ、俺はとうの昔から、詩師だっつの。
(おわり)
この短編小説はこちらに収録されております↓
甘いフルーツサンドのようなラブストーリーも、マスタードがピリリと効いたハムサンドのようなハードボイルドも、ベタベタに甘いピーナッツバターサンドのようなギャグも、いろんなサンドイッチが詰まったような短編集。
「ああ、だからミックスサンドイッチなのね?」はい、そうなんです。
1話、だいたい電車2駅分。
通勤時に、トイレのお供に、おひとついかがですか?
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