人間的な暮らし

 人間的な暮らしをするため、100均で扇風機カバーとスマホスタンドとリール付きの定期入れ買った。今までの僕ならば頑として買わなかったものだ。

 今までの僕は「坂口安吾のような暮らし」をしていた。部屋中散らかり放題なのに「味噌壺も部屋に置かぬ暮らし」を志向していた。肉体的な欲求を無視し、ただ精神的な向上のみを志向する暮らしである。僕はヒロポンも睡眠薬もやらないが、アルコール中毒ではある。坂口安吾をほとんど読んだことがないのに、坂口安吾的な暮らしをしている。おかしなものだ。

 昔は文筆で身を立てたいと思っていたので、そのような方向に行ってしまったのかもしれない。しかし、端的にこのような生活は間違っている。

 買い物をしようとする。そこで「必要かどうか」「予算は大丈夫か」という判断基準に「文学的かどうか」が入ってくるのだ。文士ならば必要なものを買ってはいけないのだ。一食我慢して一冊買う、という心がけが大事だ。そう思い込んだが時期があった。

 しかし、「意味なんてないさ、暮らしがあるだけ」が真理である。必要なものは買わねばならないのだ。最低限必要なものだけを買うのではなく、心を豊かにするものを買うべきなのだ。そうでなければ、精神的な向上などあり得ないと思う。劣悪な環境では人の心は荒廃する。ヒロポンや睡眠薬を飲まねばならない環境を、自分で作り出すべきではない。

 自分を適切にケアし、適切な毎日を過ごす。なんとつまらない、もう面白い作品は作れないと言う人も現れるかもしれない。全くそうだ。だが、そもそもきちんと寝て、きちんと食べて、居心地の良い部屋で過ごしている人に不健康な人が勝てるのだろうか。

 人間は霞を食って生きていけない。そうして生きていければ美しいのだが、人間は動植物の命を食わねば生きていかれない。チョウが美しいのは、花の蜜だけを飲んで生き、短い生を全うするからだろう。美しいことは正しくもないし、善いことでもない。人間は汚れながら毎日を生きていくしかないのだ。



 

 

 

 

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