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山奥の小屋で暮らす願望

 私の実家は田園地帯にある。夏はカエルがうるさく、冬は肥の臭いに耐えながら登校していた。コンクリートで綺麗に地面を塞いでも傍からボサボサと雑草が生え、メキメキと木が生え、虫はゾロゾロと闊歩する。自然がどれだけ煩わしいものか、逞しいものか、制御不可能なものか、よく分かっているつもりだ。

 だが、人間の煩わしさはそれ以上のものだ。次から次へと問題を作り出す、無理だと言えば冷たいなどと騒ぐ、自分が好きな人は離れていき、嫌いな人は近づいてくる。

 昔から「誰も居ない土地で畑でもやりながら好き勝手過ごしたい」という気持ちがあった。植物には心が通じない。だが、適切に対処すれば適切な答えを返してくれる。人間は適切な対処が分からないし、適切な対応をしても何も返してくれないことが多い。

 寝太郎さんというブロガーがおられる(https://mainennetaro.blog.fc2.com/blog-entry-600.html)最近はブログを更新されないが、面白い人だ。100万円で山奥の土地を買い、10万円で小屋を建てて住んでおられた。小屋を作られた時点ではDIYの素人であられたのだから驚きだ。「Bライフ」という言葉を作られ、数多の追随者が現れた。僕も昔はこの人のように暮らしたいと考えていた。

 なぜ僕はBライフをせずに就職したか。それは一筋縄ではいかない。親のようにきっちりと働こうと思ったのもある。DIYスキルが未熟だというのもある。いや、そもそもBライフのために貯金をしているだけだ、とも言えるかもしれない。事実諦めてはいない。今でもBライフブロガーの記事を読んでいる。

 山奥に住んで晴れの日は畑を耕し、雨の日は『ツァラトゥストラかく語りき』などを読むのも性に合っているだろう(ツァラトゥストラは単純に僕の趣味で、寝太郎さんとは関係ありません)。

 とにかく、昔からゴロゴロするのに慣れきってしまっている。フルタイム労働で40年間働いたり、パートタイム労働で働きながら子どもを育てるのなんてとても無理である。小鳥の声で目を覚まし、朝日を浴びながら草むしりをし、昼に野菜を採って帰って食事にして休み、夕方に水をやる。夜はフクロウや虫の音に耳を澄ませながら読書をする。こんな日を毎日続けたい。

 ああ、こんなことを書いたせいで、どんどん妄想が出てきてしまう。もうちょっと貯金しよう。貯金が貯まったら、さっさと人間社会とおさらばして、森で暮らそうなどと思ってしまう。困ったものだ。いや、本当に困ったものは、ただゴロゴロするだけで排除される文明社会なのだが......

 

 



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