ぼくのほんとうのおしごとはどこだろう
僕が本当に仕事を辞めたい理由を話そう。「仕事に適正がない」からだ。人の事情に立ち入る仕事なのに、昔から立ち入った話をしないことを目指していたし、マルチプレイが求められる仕事なのに全然できない。結果雑用で時間を稼いでいる。
道を究めれば食っていける時代や社会ならば、平気で生きていけたと思う。だが今の日本では、基本的に万能選手が求められる。なんでもそつなくこなす奴ばかり優遇される。こんなことしてるから生産性が低いのだと思う。近代社会が発展したのは分業のお陰なのだが。
貧乏しても、40まで正規雇用でなくてもいいから、研究者になるべきだったかもしれんね。あれも学内政治が鬱陶しいらしいけど。また大学に戻ろうかしら。今度は社会学の院に入ってもいいかもしれない。仕事クビになって、ほかにいい仕事無かったらそうしよう。うむ。
結局僕は完璧主義者というか、手を抜かずにやりたい性格なのだ。それなのにできない仕事をしていると、できないことが日に日に積み重なっていく。破滅する。
適性がある仕事を一生懸命するのが一番なのだ。やりたい仕事に就くのではなく、やれる仕事に就くのが一番なのだ。大学生は懸命に自己分析を行ってるが、あんなのは「やりたい仕事探し」「動機をこじつける材料探し」に他ならない。就きたい仕事があれば、数ヶ月社員と同じ業務をさせてもらうといい。
「ラーメン屋になりたい」と言う人は「美味しいラーメンを作りたい」「お客様の笑顔が欲しい」と思っているはずだ。だが、現実に求められる能力とは「注文を正確にホールに伝えること」「洗い残しなく皿を割らないように皿洗いすること」「灼熱のホールに長時間立つこと」「丁寧に掃除すること」だ。そういう業務が好きで、耐えられる能力があるのならやれば良い。
僕は勤務先と内容的に似たボランティアをしていた。だからいけると思ったが間違いだった。所詮ボランティアはボランティアなので、責任がないのだ。社員になればしっかりと責任を問われる。監視される。あまりにも浅はかだった。
人は好きなことが得意になるのではなく、得意なことを好きになるのだ。結論が決まっている自己分析ではなく、細かい適性検査とかあればいいんですがね...
なにはともあれ、職探しの旅に出よう。ぼくのほんとうのおしごとはどこだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?