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After the scenes, 50th Memorial Concert of MSWE (Mihara Symphonic Wind Ensemble)

先週日曜日に広島の三原勤務時代に所属し、異動で退団してからは客演として関わっている吹奏楽団「三原シンフォニック・ウインド・アンサンブル」の50回定期演奏会が開かれ、前日練習~本番~打ち上げとあったので、土曜から昨日まで2泊3日で、自分の第二の故郷ともいうべき三原に行ってきた。

今回は自分が客演として戻るようになってからの会場であるポポロ(新幹線から見えるホール)が長寿命化計画に伴う改修工事で使えなくなっていることもあり、今回は原点回帰ともいうべき三原リージョンプラザ(三原駅と三原港に近いところ)での開催となった。

お盆の初っ端だったこともあり、いきなり第二神明で淡路島からの渋滞に巻き込まれたのを皮切りに、姫路西から乗り込んだ山陽道でも何か所かお祭りに巻き込まれ、何とか福山東インターで降りた。結局、通常は休憩と買い出し込みで4時間半くらいで行けるところを6時間近くかかってしまった。おまけに三原は「やっさ祭り」の中日ということもあって駐車場を探すのに手ずってしまった。そんなこんながあって前日練習にちょっと遅れて現れた自分を、クラリネットのお姉さまが指揮者の先生に声をかけて合奏を止め、「今年もまた帰ってきてくれました~」と紹介してくれた。ステージに居並ぶ面々も、ほとんど変わってなくてうれしかった。みんなで再会を喜んだ。SNSでつながっている人もいるとはいえ、リアルに会えるのが一番いいと感じた瞬間だった。

演奏は相変わらずのへっぽこで冷や汗書きまくりだったけど、過去の記憶を引きずり出し、本番当日に加わってきた音楽の先生と、広島ウインドオーケストラの凄腕集団の皆さんに助けられ、何とか乗り切ることができた。その後の打ち上げにも招いていただき、そこでもおいしい料理と旨酒を酌み交わし、楽しい時間を過ごすこともできた。打ち上げが終わった頃がちょうどやっさ祭りのフィナーレともいうべき打ち上げ花火の時間で、興奮冷めやらぬまま宿に戻り、気持ちを落ち着けるように、軽めにゆっくりと呑んだ。

一方で、大都市のバンドにいるとわからない地方都市のバンド特有の先細り感について、地元のメンバーの人たちから口々にそこへの危機感が語られた。関わってくれる人をもっと増やしたい、と。

そして、もう会えない人もいる。

長年、地元の取りまとめ役で終身実行委員長と目されていたサックスのおじさんは、もうずいぶん前に鬼籍に入られた。一番自分が会いたいと思っていた。この打ち上げの場、そしてそこにさかのぼること5回前(7年前)の第45回定演後の打ち上げにも、絶対にいてほしい、いや、いなければならない人だった。その人の形見ともいうべきサックスが舞台裏に置かれていたのを、「○○さん、今年もボク帰ってきましたよ。元気にやってますよ」と言いながらそっと撫でてあげた(余談だが、サックスは全員客演だったとのこと)。

昨日チェックアウト後は、三原バイパス~尾道バイパスを栗原(新尾道駅に近いところ)で降りて北に転じ、尾道北インターからやまなみ街道(尾道松江道)を世羅~三次と流し、三次東から福崎まで中国道を走り、そこから一般道で姫路バイパスまで走り、加古川バイパス~第二神明と流して帰ってきた。

明日出社し、帰宅後、東京に帰省します。

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