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暴走する妄想:午前0時の街、時代おくれの酒場にて

プロローグ

会社の構内放送が、完全退出時刻である20時のお知らせを、蛍の光とともに流した。

今日もまた残業だった。

お疲れ、後頼んだよ。そういって勝どきに住んでいる課長が帰って行ったのは2時間ほど前。飲み会の好きな彼はおそらく、今ごろ行きつけの銀座ライオンか、ニユートーキヨーあたりで出来上がっているのだろう。考えてみたら今日は金曜日だった。

日々の期限と、日々の生活に追われまくるだけの四十路の独り身のサラリーマン。肩書も何もない。あるのは自宅マンションの借金と、ない肩書に見合わないほど積まされた責任だけ。ずいぶんと人の尻拭いもした。まあ、一方でずいぶんと人に尻拭いをしてもらったわけだけど…。

僕より仕事量が多いはずの10個下の後輩は、いつも通り定時に来て定時で帰っていった。僕と違って酒が飲めないことから彼は飲み会にも顔を出したことがなく、同じ部署にいてもほとんど話をしたことがないが、漏れ聞くところでは学生結婚をして、二子玉川の多摩川沿いにあるマンションで暮らしているという話で、奥さんは旗の台にある大学病院の助産師さんという話だった。

何をやらせても余裕しゃくしゃくの彼と、何かにつけ追われている僕との違いは、その仕事一筋にキャリアを積んできた彼と、渡り鳥、もしくは転々虫のようにして生きてきた僕の、いわゆるキャリア形成の違いなんだろうか。それとも、世代間ギャップとかいうのだろうか…。

20時15分以降に退出のIDカードをかざすと、人事のチェックが入り、上長に報告が行く仕組みになっている。急いで給茶機から水筒にほうじ茶を補給する。

パソコンを落としたことを確認して仕事も途中で締め、職場を飛び出して最寄りの武蔵小杉駅に向かう。

家は東京の中杉通り沿い、西武新宿線の鷺ノ宮と中央線の阿佐ヶ谷の間にあるので、このまま練馬まで行って各駅に乗り換え、一つ先の中村橋で降りて阿佐ヶ谷駅行きか荻窪駅行きのバスに乗り換えるか、練馬駅から荻窪駅行きのバスに乗るかすれば帰れる。

ホームに入ってきた副都心線、西武池袋線直通の特急飯能行き。
西武6000系の10両編成だ。うまいことドア沿いの、もたれかかれるところに座ることができた。

東急東横線から副都心線経由で西武線方面に乗り換えなしで行ける電車で、渋谷から小竹向原までは急行、小竹向原から飯能までは快速急行として走るのがありがたい。今の家に引っ越した時、ずいぶんと奇人扱いもされたが、定期で池袋、新宿、渋谷を堪能できるのだから別に良い。バスの定期を使えば、荻窪や中野だって堪能できる。

新丸子を過ぎ、田園調布を過ぎて、最初の停車駅の自由が丘が近づいてくるころ、ふと身体が休息を求めるかのように眠気が襲ってきた。西武6000系のモーター音を子守歌に、しばし僕は眠ることにした。

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