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「一番後ろ」が好きだ

背後を取られるのが嫌いだ。なんだか格好良くゴルゴ13のデューク東郷がごとく言ってしまったが、昔からそうだった。いまだって、セミナーや講座、カンファレンスがあったとして、前の席に促されるのは嫌いだ。何食わぬ顔でしれっと抵抗したりもするが、促されたら最後、捕まってしまったと思い、なくなく前の方に座る。分かってる。彼らにも役割がある。前の方からお詰めくださいなんて、自分が運営だったら言ってしまうだろうよ。

とにかく周りを見渡せるような「一番後ろ」はいいのだ。そのためになるべく集まりには早く到着したい。席が自由とされてる限りは、皆より早く到着してあえて背後が取られない席を確保しようとする。早すぎると浮くから絶妙に埋まってきてから座ったりもする。前に座ってるから積極的に参加しているというのもぼくの場合は違う。正直気持ちが乗ってる時だって後ろにいたい。スピーカーにとっても前に座ってうなずいてくれる人の方がいいことなんてそりゃ知ってる。これはぼくと世界にとっての調和の話で難しい問題だったりする。前に座ったっていい。いいのだが、後ろが気になってしょうがない。逆に空間に馴染めずに集中できない。スピーカーだけを見て、映し出されるスライドだけを見て集中できればいいが、そこにいる人たちがうなずいている姿、メモを取っている姿や横顔、あいつ寝てるなとか、飽きて違うことしてるやんとか、矛盾しているようだが、全体の場を見ながら適度に意識を散らした方が集中できる。誰かが見てるだろう自分がすぐ背後の同じ空間で、自分の見えない形で存在するのが好きではない。俯瞰してその場をすべて見ていたい。消極的だなって思われてもいいし、そう取られると思う。もしかしたら積極的、消極的というのとも違う座標軸での葛藤なのかもしれない。もっと内面的な自分と闘っている気がする。自分が見ているものがありながら見られているものを感じるとソワソワしてしまう。周りがいる中での調和というべきか、立ち位置、物理的な視野視界のデザインというか。
今、会議だったり、飲み会などもオンラインで行われてて、なんだが慣れないようで、そんな前・後ろが存在しないのが気楽だったりもするのだが(ちなみにZoom飲み会などでも「バーチャル背景」よりも部屋をそのまま写す方が好きです、「俯瞰した」自分が見えるので)、「後ろを取りに行く」ことのない寂しさもあるなあ。早く背後を取りたい。

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