来歴から考える記憶としての本

 父親が読書が好きであった。そのため物心ついた頃からすでに本棚が身近にあった。幼い頃はわけもわからないまま、自分の手の届く範囲の本を手に取ってみては棚に戻すといったことを繰り返していた。少し年を重ねてからも、その圧倒的な存在感からか、本そのものを読み漁ることはなく、題名や表紙など、印象的なものを手に取り、心地よい手触り、黴びのにおい、染みのあるもの、黄ばんでいるものなどインターフェイスを感じ、眺めるだけであった。また本の中身をみることはなかったが、どういった題名、背表紙の本がどこの本棚の何段目のどこにあるのか、といったものは少しではあるものの、なんとなく脳内に記憶されていた。本は場所性であるとか、素材や見た目など表面的、位相的な感覚で捉えていた。そのようなこともあって、本と出会ってからというものの、本はおそらくこのように、私にとって何か集合体であるとともに、本当に中身を読んでみたらどのようなものなのだろう、といった想像力からくる、偉大で、畏敬すべき対象であったように思える。

 幼少期、両親が不在の時がままあったため、その時に眺めていた本などは、中身に関係なく冷たく寂しいような感情の記憶と結びつけられて思い起こされることがある。このように本は書かれている内容に関係のない、全く別のものを想起する媒体としての役割があることも感じられる。それは例えば、紙の材質などのインターフェイスにおいて、古びているなら父親がいつどのようにして買って読んでいたのだろうとか、発行日などに目をやっては、醸成されてきた時間というものを感じることもあるし、メモ書きに最後のページに読了日など書いてあった場合は、その日から今日までこの本は忘れ去られてやしないか、今もまだ手に取り読み返されてはいないだろうか、など想いを巡らせてしまうことにも表れている。

 本は場所性、記憶と結びついていた。知的関係の観点からは、本棚としての、集合体としての本とは別の、本個々としても同様であり、今、私の記憶方法というものも前述の経験が影響しているとも言えると思う。例えば参考書などでも、暗記する際にはこのページの右上にこれこれこういう文言が載っていた、などといったように記憶している。ページ内のどこに書いてあったか再生して思い出し、脳内で照らし合わせて記憶する方法である。
今でこそ本を手に取り読むようになったが、線引きやメモ書きなどといった行為も脳内で場所として捉えるための一手段といっても過言ではない。

 本には始まりと終わりがある。それゆえひとつの完結した世界ということもできる。一方の人の記憶というものは突飛的であり断片的、有限的なものである。そのためストックとして各方面に記憶の装置がしかれる。この道を通るたびに毎日通った中学時代の記憶がよみがえったり、料理の味にしても然りである。同様に、本もそれ自体を読解し、内容を理解し、考察するものでももちろんあるが、突拍子のないことと結びついてしまうこともあるわけなのである。その意味では本は閉じた世界ではなく、外部との関係性を担保した開かれた世界なのではないだろうか。

 この開かれた世界であるはずの本が、閉じてしまっている例が電子書籍であると思う。インターフェイスなど、ページをめくる感覚をより実際に近づけてはいるものの、なんのにおいも、それ自身素材としての風化も起きない。ページもめくるたびに本のどの位置に属するかも物理的にはつかめず、そのものとして発現する。電子書籍においては、本に書いてある内容そのものだけをいつでもどこでも抽出し、読めればいいという具合である。人と本との記憶を預け預かるといったような相互的交流が皆無であり、本は下請けのような位置に貶められてしまっているように思えてならない。電子書籍の利点として、アンビエント化がいわれてはいるものの、合理性や可搬性を担保に、本としての魅力を失ってしまっているように強く感じる。本の本当の魅力とは、そこにないものを想うという、「間」の部分に多く拠っていると考えるからである。

 紙の本には、その見た目として、題名やデザインからみる人柄、手触り、におい、老い、など「人間的な」部分が多く見られると思う。これを実際に触れ、折り目を付け、ページをめくり、線を引き、メモをとる、こういった人間の身体的作業を通して、本という内面に触れていくことができる。われわれ人間とは異なる身体をした本というものへの好奇心、というエロティシズム的な陶酔も発現してくる。そして、そうして感じ取っていった本というものと連絡を取り続けること。本を媒体に、忘れられていくような些細な記憶の断片のようなものでも、つなぎ止められ、時代や場所を越えた会話がなされるような。本自体が記憶を持つような。そういった魅力を私個人としても感じていたいし、ここにこそ本の本当の価値があるように思える。

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