うつ病のぼくが始めた行商って仕事の話-番外編


【粂田さんの提案。。。立川に遠征?】

先日。。。12月の15日にひっそりと立川までチキチキ5は遠征してきました。実は。

最近ずっとぼくの密着取材を続けている粂田さん(ドキュメンタリー映画の監督さんで、みんなから二人は兄弟?って言われるおじさん)が9月くらいだったかなぁ。。。急に言い出したのデス。
「立川に遠征しません?」
「え?立川?なんで?」
「いや、行けるのかなぁって思って」

ぼくの抱えるうつ病って病気(いや、最近はホントうつの波が穏やかになってきたのを実感しているけれど)。
その原因となったのは前職の会社での人間関係でした。その会社があるのが立川だったのデス。

粂田さんはドキュメンタリー映画の監督さんだからネ。。。やらせはしないけど、いつもトラブルのネタを探している感じがして。。。なんかちょっとでもトラブルっぽいことがあると喜々としてカメラを構えるのデス。
それが、例えば行商していて坂道で靴が脱げて
「やべ!」
ってなるような些細な光景でも。。

そんな粂田さんが、病気の原因になった場所にぼくが行ったらどうなるのか。
そして、もしかしたら壁になっているものを乗り越えることになるのか。
もし、壁なんだとしたら乗り越えられるのか?
ありていに言って、どっちに転んでもいい画が撮れるってことだったのかもしれません。
一応フォローしておくと、なんかそれでより病気がよくなったりしないかしらん?なんてことも考えていたそうデス。

そして、ぼくはその提案を受けて、立川遠征なんて行けるんじゃないかなぁって思っていて。
だって、国分寺だったり、二子玉だったりあちこち遠征する時も通っているし、立川でお茶したこともあるし、映画だって観たことあるもの。
発症して、5年くらいしてからの話だけどネ。

ただ、粂田さん的にはすっごい嫌な顔をぼくがしていたそうで、
「どう?」
って言われて、そんならやってやろうじゃないの(そう思えたこと自体が、病気の波がとってもとっても緩やかになってきた証だとぼくは思うんだけど)って思ったし、もし壁があるんだとしたら、その壁を越えていく。。。それは冒険なんじゃないの?と思って
「いいすよ」
って答えちゃったのデス。

それから月日は流れ、12月15日って遠征日が決まって、その日が近づいてくるにつれて、正直だんだんとどよ~んとしてきました。
今年はなんだか1年間が忙しすぎて、コロナ禍の中、自分の小商い以外のあれもこれもに手を出し過ぎて、あんまり休めていないこともあって。
師走の忙しさも例年とは違ったハードさがあって。
そこに立川遠征ってキーワードがのしかかってきてしまった結果、ぼくの体調は悪化の一途をたどっていったのだと思いマス

その上にデス。
前日の行商中に前職の時の社員さんに会ってしまって。
ちらっと会社の話を聞いてしまったせいか、忘れていたのか心の奥底にしまってあったイロンナ想いや思い出が溢れ出してしまったのでした。
帰ってから夜、真っ暗にしたお風呂に入って深呼吸を繰り返していたけれど、「あんなこともあった」「こんなこともあった」って想いが次々とあふれ、当然のことながらそれはマイナスのエネルギーまとって想起され、それを止めることができずに悶々とし、布団に入ってからも安眠とは程遠い一日を過ごしてしまいました。

【遠征開始!とぼとぼと】

12月15日は朝から快晴!
なのにどよ~んとしているぼくに奥さんは
「いつでも無理だと思ったら迎えにいってあげるから電話するんだよ」
って言ってくれて。
こくんこくんと頷いて、玄関を出ると粂田さんがカメラマンさんとともに待機していました。


「さて、じゃあ行きますか」
「元気ないすね」
「ないです。。。」
ってとぼとぼと歩き出すチキチキ5。


「あれ?スピード遅くないすか?」
そう。。。いつも遠征の時は時速5㎞~6㎞くらいで歩いているのデス。
だいたい、遠征の時はゴールで誰かが待っていてくれたり、イベントに向かっている時が多いので早くつかなきゃ!っていうのもあるし、普段の行商とは違うそのハイペースで歩くことが爽快だったりもするのデス。運動してるよね!っていう。。。
でも、今回は足が出ない。

それに、別にゴールの時間も決まっていないし、誰が待っているわけでもない。
いやいやなのに早くその行きたくないところに向かって歩くなんてストレスが高すぎる!
そういうぼくの気持ちを足にのせると、そりゃもうとぼとぼになるわけなのデス。
「いやぁ。。。のらないなぁ。。。」
「のりませんか?」
「のりません。」
ってとぼとぼ。

羽村駅の手前で一度奥さんからシフォンケーキの補給を受けるくらいシフォンケーキは売れていき。。。そりゃそうだよね。とぼとぼ歩いているから声かけやすいもの。


いっそ完売しちゃえば、もう向かわなくていいんじゃないの?って思いながら歩き続けると、なんだか気がめいりすぎて、少し喉に異物感も出てきていました。
呼吸がちょっとしにくいっていうかネ。

うつ病全盛期の頃は常にこの状態が続いていて、パニックの発作が起きるとそのままよく過呼吸になっていた、あの感じを思い出しました。
いやぁ。。。こりゃ、もしかしたら無理かもしれないなぁ。。。
そう思いながらとぼとぼ。

とぼとぼ過ぎてどんどんシフォンが売れちゃうので、遂に河川敷に出て遊歩道を歩きだしました。
遊歩道はネ。。。走っている人、散歩している人、そして自転車こいでる人。
大抵みんなそういう時はお金をもっていかないから売れないのデス。
それに川もみれて、空は広がっていて気持ちよい!はず!
ってことで遊歩道をとぼとぼ。

【とぼとぼの中で考えたこと】

歩き出して4時間も過ぎると、がっちがちに緊張して疲れ切っていたぼくの身体もさすがにほぐれてきて、
「お、ちょっと調子がよくなってきたかも」
「え、ホントですか?」
「はい。よくなってきたっていうより楽になってきたって感じですけど」
息苦しい身体症状が消えて、少し景色がきれいなのが実感できてきて、少し気持ちいいなって歩いている自分がいて。
お、これならって思ったのデス。
とぼとぼスピードは変わらないので、そのスピードの中で、
「ぼくはどうしてこんなに嫌なんだろう?」
「なにがいやなんだろう?」
「そもそも、映画を観に行ったりはできているのに、違いはなんなんだろう?」
って自問自答を始める余裕ができてきました。

そうして、思うのはなんというか、嫌がっているのは今のぼくではないように思うのデス。
身体が、そして心があのうつ病のひどかった時を覚えていて。それはもう物理的な記憶となって、ぼくの身体と心に刷り込まれていて。
それが「向かう」っていう行為で引き出され、思い出され、表出しているように思うのデス。


たぶん、今行っても特に怖いことはなにもない。
社員に会っても、他人や知り合いというだけで彼らがぼくに危害を加えてくるわけもなく。
そして、ぼくは当時よりもよっぽど自由に、そしてプライドを持った仕事で日々を過ごしていて、だからこそ豊かな人間関係にも恵まれていて、たぶん(というか絶対)今のぼくは当時より幸せなのデス。
ふらりと立川に行ってもそれはまったく揺るがない。そう、揺るがない事実なのデス。

なのに、湧き上がる負の感情とストレスと身体症状は、過去がぼくを侵食しているだけのように思いました。
それは物理的な症状であったとしても、過去のことというか、もう終わった話というか。
今この瞬間は過去がよみがえってきて物理的につらいけど、それは二日酔いと同じできっついけれど、どうせいなくなるものというか。
あ~、昨日呑み過ぎたもんなぁっていう過去の結果の今であって、でもお酒が抜けたら終わりだし、この遠征が終わっちゃえば終わりの「ただのきつさ」というか。
ありていに言うとそれがトラウマってことなのかもしれませんが。。。

そして、もう1つ。
そこに奥さんがいなかったのデス。

そう。
ぼくが今まで、病気の後、電車に乗れるようになってから、何度か立川を訪れ、そしてお茶したり、映画をみた時には必ず隣に奥さんがいたのデス。
そして、今日はいない。。。
もちろん、いつでも迎えにきてはくれるけど。
そういうことなんだなぁ。。。って思いました。
とぼとぼと歩きながら。

そんな話を粂田さんにしながら。
「どうですか?」
「今はどんなですか?」
って質問に答えながら、ぼくらは遂に西立川についていました。
そう、いつの間にか。
ホントにいつの間にか。

【一人だけのクライマックス】

あんまりイヤなもんだから知らない街並みに入っても道も調べやしないぼくに変わって粂田さんが
「こっちみたいですよ」
「ここ入っていくみたいですよ」
ってナビゲートしてくれて、いきなり風景が飛び込んできたのデス。
ぼくの知っている風景が。
あの会社に通っていた一時期住んでいたアパートから向かう道が。


「こっち曲がったらすぐみたいですよ」
って言う粂田さんをしり目に指し示す方向とは真逆に曲がるぼく。
「どうしたんですか?」
「いや、ちょっと待ってください。無理無理」
身体がびっくりしているし、身体が拒絶しているんだもの!

胃の底にずっとあった鉛の玉が急に暴れだしたように痛みだす胃。
ず~んって物理的な重さをもって痛み出す腸たち。
無理無理無理。

大きく迂回しながら、呼吸を整えながら、びっくり感が治まるのを待ちながら、ぼくらは昭和記念公園の通りに出たのでした。
さらにスピードダウンするぼく。
とぼとぼとぼになるぼく。
「やめときますか?」
「いや、行きますよ!」
って会社がある一帯を目の前にした交差点でぼくは言いました。

だって、もったないじゃない。
こんなイヤな想いを延々しながらようやっと来たのに。
今帰っちゃったらなんかすべてが無駄になる感じがするじゃない!

なにがどうなるのかわからないけれど、これは行かないともったいないじゃない!てか、今までが無駄になるじゃない!


「止まったりしませんからね」
「前を通り過ぎるだけですからね」
そう言い残して青になってしまった横断歩道を渡り、ビル街に突入していくチキチキ5はぼくの個人的な感覚では悲壮感にあふれながらも不可能に挑戦するかっこよさもあったんじゃないかって思いマス。
たぶん、誰にもわからないけれど。


ぼくの心の中では難敵に向かっていく映画のヒーローのような音楽とシーンだったって思いマス。

オフィス街に入ると通行人も少なくなり、カラコロとカウベルの音だけを頼りに主観的には青空も消え、真っ暗になった道路をてくてくと歩き、そして折れたところに前の会社の入り口がありました。

ただ、そこをカラコロと過ぎ去って、過ぎ去る瞬間に後ろにいるであろう粂田さんとカメラマンさんにオフィスの場所を手で指し示し、そのまま通り過ぎていきました。

たぶん、心拍数もずいぶんあがっていたと思うし、胃の痛みは最高潮に達していたと思いマス。

100mくらい通り過ぎて、別なビルの脇に入ってチキチキ5は止まりました。
「き、きつかったっス」
そう言いながら、こりゃ他の人には勧められる方法ではないなぁって思いましたネ。
もし、トラウマをクリアする手段であったとしても。これはキツイ。

ただ、なんだか急にたぶん饒舌になりながら、イロンナことをしゃべりながら。質問に答えながら、胃の痛みが引いていくのを感じていました。
少し、身体があったかくなってきて、それとともに少しだけ胃の上の方に残ったスッキリ感は、数日たった今も覚えています。
「この後どうなるかなぁ。。。」
そう言っていました。

緊張が切れた後に現れるであろう、今までのストレスの反動。
この数日の反動が来るんじゃないかなぁってちょっと思っていたのデス。
たぶん、それは粂田さんと別れて、奥さんが迎えに来てくれて、その車に乗った後に。


でも、反動はこなかったのデス。
特になにも。

あれ?
怖がるような身体症状は出なかった。
なにも。

翌日、カラコロ堂のまみさんの針治療を受けてから、数日ぐっすりと寝ることができました。
そして、例年になく忙しい毎日。
朝の6時、7時からシフォンケーキを焼きだして、夜まで焼き続けて帰ってから伝票の整理やらなんやらが続く毎日。
忙しすぎてなかなか行商にも出られない、ストレスフルな毎日。
行商に出ても電話はなるわ、すぐに引き返すことになるわのストレスフルな毎日。

確実に年末年始に向かって、まともな休みもない日々なのに、たぶん、ぎりぎりで動いている感じはするし、すぐに感情は高ぶる毎日だけれども。
なんだか、1日1日をクリアし続けています。

なんだろうネ。
なんか1つ越えたのかね?
だったらいいんだけれどもと思いつつ。。。

それにしたって、あれはないよなぁ。。。って苦笑いしながら粂田さんに言いたいぼくが今、ここにいます。

読んでくれてありがとデス。サポートしていただけたら、次のチキチキ5(リアカー)作れるカモ。