潜ること
仕事と研究が連動していて、その方法が趣味であることから、今現在の状況は人生で最高の時である。
大学を退職しても学術研究を続けられる先輩はいらっしゃるが、私がそうなることは今のところ考えていない。なので、あと10年もすると仕事と趣味が一緒の人になる。
6月に入って、やっと海へ出ること、潜ることの自粛を解いた。
長かった。ダイビングを18の時に始めて2ヶ月も潜らなかったことは今まで無かった。30の時に交通事故で、ぶつけた車も打つけられた自車も廃車になるほどの大事故でも1ヶ月後には医者の許可をもらって潜った。もっとも40分後には右手の人差し指と親指の感覚が無くなり、お陰で頸椎の椎間板ヘルニアであることが判明した。X線やCTスキャンでも分からなかったことが、海に入ることで分かった、なかなか無い事例だと思う(笑)。その後に、MRIをやって、あぁ飛び出てますねぇ〜手術にしますか、それとも理学療法で対処しますかと選択肢を提示されたが、また潜れなくなると思い、メスを入れるのをお断りした。レントゲンの時点で、医者から「事故とは関係がないのですが、頸椎1つ多いですね」と言われ、自分のことを知る(自分に興味を持つ)良いキッカケとなったと今でもそのポジティブな姿勢は崩していない。
9年前の東日本大震災の時は、地震後1週間は津波注意報が解除されず、海に入ることができなかったが、解除後直ぐに潜った。実は、地震の最中も潜っていたので、水中で地震を感じて無理のない範囲で慌ててエキジット(出水)した。注意報解除後に潜ったあの光景は、今でも鮮明に憶えている。それまでには見たこともない底質、今までに見たことのない海底の形状、そして感じたことのない方向からの不規則な流れ。海底の形状は1ヶ月ほどで分からなくなり、底質と潮流は3ヶ月ほど継続していた。
底質は、清水港内から流出したもので、約50cmほど堆積していた。形状はその流出の際に生じた流れによってできた泥紋で、流れについては90cmとは言え、生じた津波が反射波として3ヶ月もの間、清水港内や駿河湾内に残っていたものであると聞いた。
そうは言っても、今回のように季節が抜け落ちるほどの長い期間、潜らなかったことは初めてであった。
4月、5月に潜らないと何が欠けるかと言えば、サビハゼ、ホシノハゼ、ヒメハゼの産卵を見逃してしまっている。まともに、稚鮎やカマキリの幼魚の観察ができていない。それまで継続的に観察していた魚や生物をロストしたり記録が途絶えてしまったことなど、枚挙にいとまがない。
予定していた研究調査も大半が未定となり、研究は止まったまま動かせない事案もある。唯一、活動できそうな研究は8月か9月になっても、この小康状態が続けば可能性がある。授業が遠隔だからと言って、授業時間に潜っている訳にも行かず(笑)、その授業の曜日・時限にはパソコンの前に座って会議システムを利用した「質疑応答」の時間としている。顔見知りの学生は、顔出しするが、面識のない学生は音声のみか、あるいはチャットだけで、なんだかすごく味気ない。まぁこの辺の話は別の時にまとめることにします。
現在、継続している研究は、千葉の海事考古学研究のサポートと宮古島の海底熟成酒の設置と回収の潜水作業で、新規の研究はスタートできていない。
なので今年度に執筆する論文のテーマを変更しなければならない。これは私に限ったことではなく、フィールド研究をされている皆さん全てに言えることだと思う。特に大型の予算を獲得されている方は大変だと考える。
やらなければならない研究は沢山ある。しかし、本当にやらなければならないものは1つしかない。その1つを達成させるためには、寄り道も必要だし基礎固めも必要になる。あるいは、達成するために立場を先に形成しなければならないのかも知れない。
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