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遠隔授業の課題

ここで閑話休題します。備忘録として残します。

 先ほどと言っても書いている内に日付を跨いでしまいましたが、春セメの全ての授業課題をアップロードしました。演習とゼミは課題の発表がZoomを使用してあるので、月末から8月上旬に向けてファイナルを迎えます。
 海洋スポーツ施設/マネジメント論、海洋スポーツ研究ゼミナール、海洋スポーツ指導演習D、応急処置法、海洋スポーツの法規と政策、海洋スポーツ概論(輪講6/14)、潜水概論、海洋スポーツメディア論の8科目の授業課題はシラバスの説明を入れて7科目×14回+6回=104になり、これまでの対面授業で使用していたパワーポイントのデータを基本に作成した課題参照資料はこの機会に新たな自分の著作物となった。
 この参考資料の作成で最も厄介だったのが、データのスリム化でした。これはデータダイエットとも呼ばれ、月末のギガ難民の救済策として、我々教員が心が折れるほど気遣いをした作業でした。「月ずえにギガが乏しく飢餓となる」学生のニーズに応えた試みである。この作業をしていて自分でも今更ながら驚いたのが、これまで対面授業で使用してきたパワポの資料で1回の授業でなんと!500MBの容量のパワポのデータがあったことでした。これをどうやって10MB台のデータまでスリム化したら良いのか途方に暮れたことが何日もありました。単純にPDF化すると更に増幅するデータもあり、夕方になると独り言が日に日に多くなる期間を過ごしたこともあったのでした(今日もだけどね)。
 そんな作業と並行して行うのが、提出された課題を出席にフィードバックする作業なのです。単純な転記ではなく、それなりに確認をしたことを学生に伝える返信や返却は、気が遠くなるルーティンでした。以前もnoteに書き留めていますが、週に290名ほどの履修者がいるため、諦めた学生を除き少なくても約250名からのメールや課題の提出があるのです。想像すれば理解できると思いますが、齟齬や訂正の類いを含めれば、返信の作業量は軽く1.5倍に達します。授業名が記載されていない、提出者名がない、学番すら記載がない、何回目の課題かも分からない、誰に対して送っているのかも、出題の意図を理解していないもの、内容の意味すら不明なメールと対峙し続けていると自分が透明化してゆき、誰であるかが分からなくなってきます。辛うじて、この課題の出題者であり、この課題は何を伝えたくて出題しているかを認識することで、現実から逃避しようとする自分を崖っぷちで踏みとどまらせていました。自分がこの授業で何を伝え、どうしたら履修者がこの授業を通じてベターな学びを獲得できるのかを真剣に考え、お互いに歩み寄り励ましあいながらここまで辿り着いたのです。通常の状態で真面目に考えていたら体も精神も保ちません、非常時だから防御の免疫が機能して現実として認識できる力が備わったとしか考えられません。まぁそんなことは、この試みが始まった時点でとっくに覚悟は足りていましたけどね。。僕たちはお互いに、ここをやり過ごすために時間と労力を今、費やしているのではない。次世代の学びを創出するために、学生と協力して授業形態を構築しているのだ。この履修者数で可能な学びは、どこに限界があるのか。学生が自学習に積極性が保てる課題とは、どの角度のベクトルか。私があなた達とこの科目でディスカッションしたい学びは何なのか。準備期間も与えられたファクターも限られた状態で、互いに善戦をすることを強要され、一体どれだけの労力という名の血を流したのだろうか。少なからず、僕の気力が伝わった学生からは、そこまで求めていないような回答や励ましの言葉をもらうことができたのが幸いだった。

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 秋学期も遠隔授業は座学の授業において継続されることは、ほぼ決まっている。少しだけ、胸を撫で下ろしたのは、オンラインと対面のハイブリッドが無かったことだろうか。海外の著名な大学では既に2021年度もオンライン授業が決定しているようだ。このタイミングでMOOCs(Massive Open Online Courses )の時代が日本にも到来するのであろうか。マスターレベル以上の学びにおいては、覚悟を決めれば可能であろう。しかし、学士のレベルではその覚悟は残念ながら無いと考える。リメディアルが授業に組み込まれているような学びの形態では、MOOCを体現する資質を感じることさえできないからである。これは高等教育の劇的な進化(移行)を問うイベントである。僕は明確な答えを持っている。しかし、そこにたどり着ける大学が今の日本に何校あるのだろうか。本来の素質や学部によって具現化しやすい気質は感じられる。道を誤れば、高等教育の根元は崩壊し、大学の不必要な社会が形成される。つまり、方向性を違えれば誰も大学を必要としなくなるのだ。その瀬戸際な感じをリアルに受け取っているのだろうか、疑問は尽きないが、実はそれほど興味が湧かない。
 私は、あと10年ほどで定年退職によって今の身分を解消する。瀬戸際が到来するのは、奇しくもそのタイミングである。それまでに大学という教育機関はどれだけのシーズを撒き散らすことができるのだろうか。しかしそのシーズも芽吹かなければニーズは生まれない。

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