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答辞(私の子どもの話です)

 先日、私は所用で出席できませんでしたが、息子の卒業式がありました。

答辞

週末には節分を迎え、暦の上では春に季節を移します。
 先生ならびに職員のみなさま、在校生のみなさん、本日は私たちのために、このような盛大な卒業式を挙行していただき、誠にありがとうございます。
 そしてお忙しい中、ご出席いただきましたご来賓の皆さま、保護者の方々に卒業生一同、心よりお礼を申し上げます。
 本日、私たち第62期生は、先に皆さまから賜った心温まる言葉を胸に卒業します。この答辞を文字に起こしている時、色々なことが思い浮かびました。中学入学直後に起きた地震のこと。寮生は親元を離れて直ぐのことだったので、みんなで一緒に居れることの有り難みを感じました。次に、中学最終年時に起きたコロナウイルスパンデミックです。それにより私たちはNYの研修旅行を断念することとなりました。そこから約3年、我々がそれまで夢に描いてきた理想の高校生活は無かったものとされ、「制約」との戦いがスタートし、決して楽しい時間だけではありませんでした。
 ラ・サールはキリスト教の学校です。神の教えを学び、神の御加護によって我々は日々息災でいられると教えられました。
聖書のコリントの使徒への手紙、第10章13節に
"God will not give you a wall that you cannot overcome.”
とあり、つまり神様は越えられないハードルを我々の目前に用意しないと聞きますが、この時に目の前にあったのはハードルほどの壁ではなく、棒高跳びくらいの跳躍が必要なものでした。
 しかしながら、神様は使徒に命じて様々な手助けをしてくれました。時には先生、時には職員の方、ある時は友人がそのチャンスとヒントを運んでくれました。卒業を目前に、ふと思ったのは、このことをコロナ禍になっていなかったとしたら、果たして私たちは気がつくことができたのでしょうか。
 勉学によって得られる知識や仕組みの理解、また副産物としての脳のトレーニングは学生の本分であり、普通に学校生活を送って、なおかつサボらなければ誰しもが獲得できるものです。ところが社会と向き合う経験については誰もが、という訳にはいきません。その人の置かれた境遇や環境によって大きな差があります。この経験については、高校生までの比較的均一化された環境では、大差はありません。
 つまり、ここからが本当に面白くなる人生のリスタートになります。私たちは、国の都合で勝手に成人を18歳と決められてしまった微妙なジェネレーションです。特にこの4年間は、理不尽極まりない色々な政策のおかげで、本来であれば知らなくて良かったようなことまで検索して勉強してしまいました。ピンチの後にパンチあり、油断をするなと教えられました。
 この間に函館ラ・サール中学・高等学校で学んだことは、寮生・自宅生の隔てなく、これから人生を進めるにあたり大きな財産になりました。そして、その蓄財をするにあたっては、教職員の方々、寮職員の方々、支えていただいたご家族の皆さまのお力添えとご鞭撻がなければ、これほどのものには成らなかったと感じています。重ねて卒業生一同を代表してお礼を申し上げます。
 最後に、本日ご臨席を賜りました皆様のご健康と函館ラ・サールの更なる発展を祈念して卒業生の答辞といたします。

令和6年 2月1日 卒業生代表 鉄 良伊加

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