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はじめての入院

 おそらく、お昼くらいから胃に不快感があり、昼食は止めようと思ったけど、学食(今は稼働していませんが)前に並べられているお弁当を見た瞬間、ほぼ反射的に列に並んでしまった。購入した日替わり弁当を持って仕事場に戻り、それほど食欲はなかったが、隣から聞こえる電子レンジの音を聞いて、これまた反射的に食べはじめてしまった。当然のことながら、胃の不快感は高まり、「早退」の2文字が頭を過ぎる。パソコンのデスクトップの所用を確認していると共同研究をしている先生が訪問され、来年度に向けた打ち合わせを行った。気が紛れたのか、一時的に不快感は収まったものの、今度は食当たりに似た胃痛が始まった。今までも、原因不明の胃痛に対してはコカコーラを飲む習慣がある私は、冷蔵庫に常備してあったコカコーラを飲んだが、暫くしていつものようなマヤカシが通じないと悟った。集中力を欠いて、何も進まないことを理由に早退することにした。自宅に戻り、常備してあったガスター10を見つけて早速服用する。1時間後、良い方に対して何の変化もなく、それどころか状況が悪くなっていることを理解する。薬局に行き、痛み止めになる薬を探し、腹痛に効果があるブスコパンを選択して早速飲む。痛みは和らぐことを知らず、このまま家で安静にしていても、朝まではもたないことがハッキリと理解できた。何故にここまで病院を頼らなかったと言えば、運悪くこの日は木曜日だった。インターネットで当番医あるいは、受け入れてくれそうな医院を探し、至急電話口で予約を入れて当該医院へ急行。ここまでの経緯を医師に話して、血液と尿の検査が始まる。簡易的な検査だが血液に炎症反応が認められるため、大きな病院へ行くか選択を迫られている最中に、あまりの痛さのため嘔吐してしまった。以前、尿路結石の痛みで嘔吐した話を聞いて、痛みで嘔吐をするのはかなり不味い状況であることを知っていたので、救急車を呼んでもらい、今この文章を書いている病院に搬送された。いろいろな検査が行われ、とどめの造影剤を注射して行ったCTで絞扼性腸閉塞であることが判明し、緊急の腸管癒着剥離術が行われた。これまで、救急車で病院に搬送されたことは車の正面衝突事故(こちらが信号で停車している状態です)で1度だけあったが、幸にして入院せずに帰宅させられたので、入院も鼻からの挿管及びバキュームも造影剤を使ったCTも開腹手術も初めての経験であった。ちなみに吸引で600mlの胃内容物が吸い出された。その前に、同等量と考えられる吐瀉物があったことを加味すると1000ml以上(内500mlはコカコーラ)の内容物があり、本来は消化後に移動するべき場所が塞がれてしまい行き場を失って嘔吐に転じていることはこの段階でやっと理解ができたのであった。その後の手術は全身麻酔で行ったため、マスクを口に当てられ、大きく深呼吸して〜の声をきいて2、3呼吸で意識が無くなったので、その間の時間経過は全く記憶になく、起こされて今が深夜の0時だと聞き、大凡の時間配分が理解できた。忙しい中、検査から手術が終わるまで待たせてしまった家内にお礼を言って手術室からICU(集中治療室)へ移った。緊急患者の処置室とICUでの記憶が幾つか曖昧になっている部分もあると思うが、医療ものの映画やドラマのシーンが大袈裟でないことを肌で感じた。どんな状況であったかをここに記述できないような悲しくなるような状況も目にし、耳に届いてきた。もしかすると幻覚や幻聴の類だったのかも知れない。そう思いたくなるような光景であった。私もそこのカオスの一員として末席から意識が混濁した状態で感じていたが、あの環境は医療従事者以外の人であれば耐えられないであろう。もしかすると、ある意味で覚悟をもって従事している者でも、あの現場にはそう長くは耐えられないのかも知れない。

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 さて、ここからは入院ライフのお話になります。腹部の痛みといくつかの繋がれた管の存在を除けば、快適この上ない環境で過ごしています。一番辛かったのは、排尿のために設けられた管を引き抜く時とその後の排尿時の激痛に耐えることでした。あの排尿をしたいのだけど、すれば激痛が襲ってくることが擦り込まれた状態でトイレに赴くのはかなり勇気が入ります。すれば激痛、止めれば長引くから一気にと思ってトライすると悶絶大捜査線です。青島くんになり切って、室井さん事件は病床で起きているんじゃなぃトイレで起きているんです!って叫んでしまいました。ほぼ2時間毎に尿意で目が覚め、起き上がるのと腹筋の使い方を間違って方向を誤るとチビってしまうので、今でもオムツ生活です。
 最後に食べたお弁当から丸4日の間、食事を口にしていなかったけど不思議と空腹感はなく、点滴の作用が覿面であることが分かります。また、抗生剤や追加の痛み止めなども、全てこの管から供給されるため、機械のアラームが鳴ると不安しかありません。ICUから一般病棟へ移って日が浅い頃は、アラームが鳴るたびにナースコールをしていたので、詰所ではどんだけビビりな患者だよぉ(笑)って思われていたに違いないでしょう。一応、学習機能は備わっているので、呼ぶレベルと放っておくレベル、自分でやっておくと褒められる行動と不快に思われる行動が理解でき、ここまで来ると看護師との会話が成立するようになります。とは言っても、見た目と年齢のギャップの話と苗字と名前に使われている漢字に対する反応が大半で、主治医とは地元の釣りの話で盛り上がって、会話の時間をほぼ消化している(回復の現れなんですけどね)。当初は、ネットの接続環境も全く未知であったため、リモート系の仕事を含めて一層の事全てお断りして、回復休暇に当てようとも考えたが、PCやPad、ガラホが病室に搬入されてしまえば、気弱な私は仕事の奴隷に返り咲くのでした。履修者にも現状を理解して寛容な対応を促すメッセージも入れたし、翌週の授業課題も配信し、それ以外もこの状況にしては、完璧に近い対処をしたつもりでおります。
 ところが、4日目に食事が再開し、体に着いていた管が外れると、もぉここに居れるのも3、4日だと言うじゃないですか。そうは言っても、立てば痛いよ座れば激痛、歩く姿はお年寄りでは、普段の生活を取り戻すには程遠い。再発防止と折り合いの付け方をよく聞いてから退院することとしましよう。今朝、主治医と話をすると、先生の気持ちは明日明後日の退院に変更されていました。医者の立場からすれば、順調な回復と患者の社会復帰は喜ばしいに違いないが、羽の生え揃っていない若鳥に「お前はもぉ飛べるよ」とプレッシャーを掛けているみたいで、また直ぐに巣に戻って来ないかが心配です。
 そんな事を書いていたら、案の定、点滴生活に逆戻りしました。やはり数日間とは言え経口摂取をしていなかったので、胃や腸の動きが悪くお腹が張り、振り出しまでではりませんが大きく後退しました。それでも数日中には退院できると信じて、一生懸命にゆっくりしております。

 今回、私が発症した絞扼性腸閉塞とは、どんな病気なのかを書き留めておきます。
 ネットで調べれば出てきますが、ここでは罹った視点から述べたいと考えます。先ず、これは誰でも罹る可能性がある病気です。もちろん、過去に腸に炎症や大きな打撃がある方がより罹りやすいそうですが、そうでない人も症例があるので、確率は低くても突発的に誰にでも起きるようです。私は、運良く腸が壊死していなかったので、切除手術はありませんでしたが、手遅れになると壊死した箇所の切除と正常部位の縫合が必要になるため、腹部の開口面積は広くなり、時間も1〜2時間余分に掛かるそうです。手術が必要ない症状の場合は、保存的治療をするそうです。盲腸などでも行われると思いますが、この処置の場合、再発のリスクは癒着剥離術を施した場合より高くなる可能性があります。
 また、食事や運動処方で防げるかと言えば、極端な場合を除き、それほど因果関係はないそうです。なので、この病気を疑った際に、対処が早いと「保存的治療」、程よいと「癒着剥離術」、遅れると「壊死部の切除と縫合」、さらに遅れると壊死した範囲が拡大して命に関わる状況になるそうです。私の手術の場合、主治医が将来的に再発しそうな箇所も剥離し、更に当該部位との癒着をし難くする処置もしていただいたと聞き、非常に安心しています。幸い、どの看護師さんが見ても、傷が綺麗に縫合されていますね、と言うくらい良い出来だそうで更に心が軽くなっております。
 もちろん、今回の発症は喜ぶような結果ではありませんが、今まで経験をしていなかった様々な体験を自分という教材が持ち得たことは、ある意味でラッキーだと思っています。
 これからの自分の講義や講演、ちょっとした会話の中でこの経験を伝える必要性が何らかの形で出てくると感じていますので、この経験をマイナスとは全く考えておりません。


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