見出し画像

【スポーツ文化論】東京オリンピックに80%の人が賛成する?ウルトラC案

※この記事は2021年6月29日に別ブログに掲載したものです。媒体・記事の整理に伴い、noteに移行させました。


開会式まで1カ月を切った時点でも、開催国が歓迎ムード一色にならないオリンピックが、まもなくやってくる。

開催決定時の祝祭感はどこへやら。国立競技場の設計変更やエンブレム変更にはじまり、開催予算の膨張、招致裏金疑惑、そしてコロナ。「復興五輪」のキャッチフレーズは吹き飛び、「コロナに打ち勝った証」とする大会にすり替わった。もちろん、まだ「打ち勝って」はいない。各種世論調査で開催に懐疑的な意見が数多く示され、来日した選手の中から不幸にして感染者が出ている。にも関わらず、「安全安心な大会」と連呼する国は、どこか恐ろしい。執筆時、こんなニュースも入って来た。競技を子どもたちに見てもらう学校観戦チケットが関東3県で確保分の6割にあたる17万枚がキャンセルされたそうだ(毎日新聞6月26日18時配信)。

この機に及べば、なし崩し的に大会に突入するのは避けられないかもしれない。しかし、それでも(反対があることを承知の上で)あえて示しておきたい。究極の代案を。


2024年 パリ大会(フランス)と東京大会の併催、である。

IOCが認める併催・分離開催

この案が実現可能であることは国際オリンピック委員会(IOC)が証明している。2014年、IOC臨時総会の席上、満場一致で採択された「アジェンダ2020」という五輪の中長期改革案に、その根拠がある。念のため付記するが、この案をごり押ししたいのではない。「延期などもはやできない」と議論を封殺するかのような発言を五輪担当大臣が口にしたことに対する異議である。

アジェンダ2020は開催都市のコスト軽減や実施競技の見直しなど40項目の改革案からなり、東京大会から一部適用されることになっている。詳細に興味があればネットで検索してもらうとして、共催の根拠になりうるのは、次の項目である。

「既存の競技施設や一時的会場の活用を促進し、開催都市や開催国以外での一部競技の開催を認める」(https://kotobank.jp/word/802020-1725672)

おわかりだろう。場合によっては開催国以外での競技開催が可能であると示されている。もちろん、今回のようなケースを想定しての改革案ではないが、何せ世界中が影響を受けた歴史的事件である。援用することも可能ではないか。

この項目が盛り込まれた本当の背景は、莫大な費用をかけて競技会場を新設したのにも関わらず、大会後にほとんど活用されず「ホワイトエレファント」(無用の長物)化するケースが数多あることである。公金投入の是非や環境破壊の懸念から、一度は招致に手を上げても、住民の反対を受けて断念する都市が相次ぐことにIOCは危機感を抱いた。

特に積雪寒冷地という条件から開催候補地が限られる冬季五輪は深刻である。2022年の冬季大会は当初6都市が立候補を表明したが、大本命と見られたオスロ(ノルウェー)が財政面から断念したほか、他都市も住民投票や国内情勢を理由に次々と立候補を取り下げた。結局アルマトイ(カザフスタン)と北京(中国)の一騎打ちとなる異例の展開で、北京に決まった経緯がある。

夏季五輪でも2024年はパリとロサンゼルス(アメリカ)の2都市しか立候補がなく、IOCはこの2都市から28年大会開催地も同時に選ぶ案を決定。ロサンゼルスが28年大会の開催地になるという、これまた異例の決着だった。先に示した一項が改革案の一つとしてアジェンダ2020に盛り込まれたのも当然の流れだ。

共催案はさらに3年の延期を強いられる。80%の人が賛成と記したが、実際はもっと反対する人たちはがいるだろう。まず選手。代表が決まっていく中で、いきなり延期はさすがに忍びない。年齢的、モチベーション的に引退を余儀なくされる選手も出るだろう。組織委員会や準備に携わる人も大変ではある。とっくに終わるはずの祝祭準備が、まだ3年も続く。東京都は水泳センターやホッケー場など6施設を新設したが、大会後は5施設が赤字になるという試算が出ている。さらに延期となれば(後述するが開催競技が限定されることも含め)赤字幅は拡大する。ホワイトエレファントに近づきかねない。

一方、あと3年猶予があれば何ができるか。ようやくワクチンの普及に目途が立ち始めた状況を鑑みれば、2024年はコロナに関しては安心できる状況になっているのではないか。酒の提供をどうするか、観客をどこまでいれるのかという点も簡単にクリアできるだろう。さまざまな制約が外れ、かつてどこかの首相が言った「完全な形の五輪」に限りなく近い。

併催となれば競技をどうするかだ。ベースはパリ大会だから、相当数はパリで開催とする。本来、野球・ソフトボール、空手はパリ大会の開催競技から外れているが、これを持ち越し「東京会場」で実施する。ほかのどれだけの競技ができるかはわからないが。

五輪は商業主義に毒されている、米国のテレビ局に牛耳られている、競技の時間帯を見てもアスリートファーストではない。そのような意見は十分認識しているし、実際その通りだと思うことはたくさんある(そもそも灼熱の東京で行うこと自体が狂人的である)。一方、あえて理念から考えれば、五輪は平和運動である。価値観や社会体制の違う国々の選手や観客が集ってスポーツ大会を開けるということは、それだけ世界が平和である証である。それがふさわしいのは今か、3年後か。決してコロナに打ち勝った証が五輪ではない。

「危機の後の連携と復興」、100年前と同じ?

東京都知事は1920年のアントワープ五輪を引き合いに「危機の後の連帯と復興」と口にした。同大会は第一次世界大戦が終結した直後であり、死者4500万人という世界最悪のパンデミックを引き起こしたスペイン風邪の流行後に行われた。未知のウイルスに翻弄される五輪という点では100年前と状況はよく似ている。100年後もしっかり乗り越えて五輪をやれたことを世界に示す―。都知事の思いとしてはわかる。

ただし、当時の開催国ベルギーは奇跡的に感染拡大を免れた国とされる。ヨーロッパ全体も1920年までに感染が収束していた。とはいえ戦争からの再建途上にあった国だけに財政事情が悪く、人々の暮らしもよかったとは言えない。衛生面でも施設面でも問題が多く、国民の関心も選手の評判も芳しくないものであった。1916年のベルリン五輪が大戦で中止となっており、IOCとしては2大会連続の中止は是が非でも避けたいところだった。延期や中止などもはやできない。100年前にも突き進んだ人たちがいたわけだ。

ちょうどこのコラムの執筆時、陸上の日本選手権が行われ、代表が次々に決まっている。この場に及んで延期や中止など誰が言えるだろうか、そんな雰囲気は確かにある。さまざまな心配をよそに、始まってしまったら過去の五輪同様、テレビを中心にメディアは大騒ぎをし、なんとなく世の中は五輪の話題一色になってしまうのだろうか。

大会後の施設活用や五輪という経験をどう継承するかはレガシーと呼ばれる。「スポーツが国際舞台に返り咲く素晴らしい祝祭」(IOC会長)を演じ続けた結果、そのレガシーが「感染拡大」となったら……目も当てられない歴史的五輪となる。

※参考:「スペイン風邪と第一世界大戦からの復興~1920年第7回アントワープの光と影」『オリンピックの歴史を知る』笹川スポーツ財団, https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic/25.html

※写真=The New National Stadium, Olympic Stadium in Tokyo, Japan from T (canva.com)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?