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現代文の読み方、解き方、教え方⑤ 「論理的文章」を「俯瞰的」に読む

 論理的文章を俯瞰的に読んでいくことについて説明しよう。

 もう何度も読んでいる文章であれば、今読んでいる箇所が全体のどのあたりに位置しているかは理解できる。すでに読んでいるということは、全体の地図を持っているということだ。だから、いま自分が読んでいるところは、この地図のこのあたりと、見当をつけるのも容易だ。

 これが初見の文章だとそうはいかない。まず蟻の目で、一所懸命読んでいるわけだから、それで手一杯になりがちだし、ときには文章に引き込まれて(面白くなってきて、その部分を大きく感じたり)夢中になってしまう。自分がいま全体のどこにいるかなんて、考える余裕はなくなってしまう。

 文章は一つひとつ違うし、筆者の文体も異なる。同じ文章は一つもない。だから、いま自分が読んでいるところが全体のどの位置に当たるかなんて分かるはずがない。このあと道が大きく曲がるかもしれないし、急な坂があらわれるかもしれないと思うよね。

 ところが、論理的文章の場合、ある程度は全体を予測することができる。それは、論理的文章の筆者のほとんどが論文を書くことを生業とした大学人であり、そうでなくとも自分の考え(研究の成果)を多くの人に理解してもらいたいと切望している人だからだ。彼らには、身についた文章の型(他者を説得するための型)がある。
 それは、

 ① 何について話をするか(テーマの提示・問題提起・話題の提示)
 ② 説得・論述・論考(実験・観察等の具体例、話題など)×2or3
 ③ まとめ(結論)

 という型だ。
 最初にまとめ(結論)が提示される場合もある(これが哲学的文章だったりすると、かなり面食らう)が、あまり気にすることはない。「なんか、わからんこと言ってるなぁ」くらいの気持ちで読めばいい。そこで押さえるべきは、この文章の話題が何なのかを確認することだ。(ちなみに結論を冒頭に置くのは論文の一つのスタイルだが、大学入試ではあまり現れない……気がする・笑)

 次にあらわれるのが、「説得・論述・論考(実験・観察等の具体例、話題など)」の部分だ。ここでは、先に提示されたテーマに関して、筆者の行ったアプローチが提示される。それは理系の文章の場合は実験や観察の方法や過程、その結果であり、文系の文章であれば文献調査やフィールドワーク、自分の思考の方法や過程、その結果などのことが多い。

 論理的文章は「ものわかりの悪い読者・とにかく分かってくれない読者」を想定して書かれていると考えていい。だから、一つのテーマについて複数の角度から語られる(論証される)。同じことを繰り返しているような印象を受けるときもあるし、くどいほど予想される反論やさらにそれに対する反論が書かれていたりする。これもすべて「ものわかりの悪い読者・とにかく分かってくれない読者」を説得するためだ。

 この部分が「論理」である。ものわかりのいい(国語のできる)読者は、この部分を読み飛ばしがちである。結論(まとめ)の部分だけが大切で、同じようなことを繰り返す論述部はつまらないとさえ感じることがある。
 それはとても残念なことだ。大切なのは、論理であって結論ではない。どのような考えの道筋を通って、どのような実験や観察を通して、その結論に至ったか、その道のりこそが大切なのだ。

 「平和が大切だ、戦争は嫌だ」と言うのが大切なのではない。どういう考えで、その結論に至ったのかという論理こそが大切なのだ。論理の裏付けのない発言は、いつでも簡単に反転してしまう。ぼくらはそういう姿をたくさん見てきたし、自分のこととして経験もしているはずだ。

 そして、「まとめ(結論)」部に至る。ここまで読んできた人の頭に自然に浮かぶもの・ことが書かれている(はずである。そうでなければいい「まとめ」とは言えないだろう)。冒頭のテーマに対しておこなったこの文章の論述部をまとめると、こういうことになりますよね、という部分だから、「まとめ」。ぼくはここを結論とは呼ばない。その理由はあとで。

 これが論理的文章の基本的なパッケージだ。

 だから、全体を俯瞰しながら読むというのは、このパッケージのどの部分を読んでいるかを理解しながら読むということに過ぎない。

 ① 何について話をするか(テーマの提示・問題提起・話題の提示)
 ② 説得・論述・論考(実験・観察等の具体例、話題など)×2or3
 ③ まとめ(結論)


いま読んでいる部分が、この三つのどこかを意識しているだけでいい(いま読んでいるのは、テーマの提示部だとか、二つ目の論述部だとか、まとめの部分だなとか)。そうすれば、前々回に書いたように「どこに答えのヒントがあるか」が自然にわかるようになる。

 (これは余計なことかもしれないけれど、読んでいるうちに何が何だかわからない文章って時々出てくるよね。だいたいわけがわからなくなるのは、①か②の部分だ。そんな時も我慢して読んでいれば、必ず③「まとめ」でわかりやすく説明してくれる。ご安心あれ。)

 繰り返すと、①の部分に問題が設定されていれば③、②の部分に問題があれば②、③の部分にある問題は②の要約、となる。あくまでもこれは基本形だから、それぞれの問題文や傍線部に合わせて調整は必要だけどね。

 「部・章・節・項・目」という言葉を聞いたことがあるかもしれない。これは論文の組み立ての話だけれど、細かいところはさておいて、ちょっと今回の話に関係する部分だけ書いておく。

 上に書いたパッケージの一つが第一項の内容だとする。それは第二項、第三項という別のパッケージと組み合わされて、項の「まとめ」に至る。その項がいくつか組み合わされて、また「まとめ」に至る。それが一つの「節」を作る。その「節」がいくつか組み合わされて「節」の「まとめ」になり、一つの「章」を作る。こうやって組み立てられるのが、論文と呼ばれるものだ。(「部」と「目」を書いていないのは、高校生には耳慣れないと思うからだ。他意はない)

 ピラミッドのように土台から(論が)徐々に組み立てられていって、論文全体のまとめ(この全体のまとめの後にちょこっと書かれるものを「結論」と呼びたいので、ぼくはここまでのものは「まとめ」と呼んでいる)が、ピラミッドの頂点というイメージだね。

 長くなってしまった。申し訳ない。

 大学入試で使われる文章には、上のパッケージの一つが採用されているものが多い。それは単に出題の関係でそのような組み立ての部分を探しているということでもある。一つの意味段落から読解問題を一題ずつ作る。その上で全体を通した問題が一題。

 ほら、センター試験の大問一は計六題。一つが漢字問題(問1)で、部分読解の問題が四題(問2~5・①の部分に一題、②の部分に二・三題、③の部分に一題みたいに)、全体に関わる問題(問6・③の部分と重なる場合もある)が一題だったでしょ。基本、だけどね。共通テストになってからは、新傾向の問題が一題以上、入るようになったけれど、それはその分が減っているということだ。解き方の基本は変わらない。

 長くなってしまったので、ポイントがぼんやりしてしまった。確認する。論理的文章を俯瞰的に読むとは、自分がいま読んでいる箇所が、

 ① 何について話をするか(テーマの提示・問題提起・話題の提示)
 ② 説得・論述・論考(実験・観察等の具体例、話題など)×2or3
 ③ まとめ(結論)


の、どの部分を読んでいるかを意識することに過ぎない。このパッケージは、問題文中に三つか四つくらいあるから、話題の変わり目(意味段落の切れ目!!)には注意が必要だね。

 あと老婆心ながら、論理的文章で大切なのは「まとめ(結論)」ではなく、「論理」の部分だってことも覚えておいてもらえると嬉しい。

 

 

 

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