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福島伝承スタディーツアー day3

◆大熊町坂下ダム
 ほっと大熊から車で15分ほど。ダムから大きな送電線が見える。原発から東京に電気を送っていたものだそうだ。ダムには「釣り禁止」、登山道には「登山禁止」の看板があります。すべてを事故前に戻すことはできていないことを実感しました。11月になると紅葉が始まるそうです。
◆福島第一原発
 経済産業省の方の案内で視察させていただきました。はじめに静脈認証の登録をして、そのあと金属探知機のゲート(空港にあるやつと同じ)を通り、さらに静脈認証のゲートを通ってやっと施設内へ。1号機から4号機が間近で見れるところまで行けました(長袖長ズボンであれば特に防護服とかはいらない)。各機は近くにあったんだなあという感じ。2号機は1号機の爆発時の衝撃で一部の扉が開いたので爆発しなかったそう。建屋内のデブリは今は水で冷やしているが事故から18年経過したら空冷でいけるそうです。処理水を流しているところもちょっと遠くから見ました。海底トンネルを作っていて海岸から1キロ先に放出しています。よく映像で海に直接流しているように見えますが、あれは施設内で処理水と海水を混ぜている工程です。700倍に希釈して海洋放出しているので人体に影響はない。仮にトリチウム100%を飲んだらどうなるか?と経産省の方に聞くと、それは死ぬ。トリチウムが危険がどうかでなく、濃度と量のコントロールが重要とのこと。そりゃ醤油をガブ飲みしたら死ぬけど醤油は毎日使うのと一緒かなあと思った。使用されていない大量の車両が置いてある場所も見ました。事故当時に施設内にあった車両は汚染されているので施設外には出せないとのこと。車体の内部まで汚染されていて除染することは難しいようで1000台以上が置かれていました。
◆旧請戸小学校
 震災時に約80名の生徒が裏山に避難して犠牲者が0人だった小学校です。1階が壊滅しており津波の力の強さがわかります。裏山までの距離は1キロほど。車いすの生徒もいたそうです。後ろを見るな、という声のもとみんなで走ったとのこと。
◆東日本大震災・原子力災害伝承館
 地震・津波・原子力発電所事故のことが展示されています。原発事故前に双葉町に掲げられていたという「原子力 明るい未来の エネルギー」という文字パネルがあります。

避難指示が解除されても、震災から13年経って別の土地での生活があり、そこでの子供の教育、親の仕事のことを考えると戻ってくるという選択をしない方も多くいるそうです。時間の経過により、もとの生活に戻すことの難しさをもどかしく感じます。中間貯蔵施設は2045年に終了する予定。あと約20年あります。廃炉作業はあと40年とも50年ともいわれます。しかも廃炉作業が終わってもその土地には放射性廃棄物があるので使えない。処理水の海洋放出はあと30年続く。もっと早くできないのか?ほんとうにもとに戻すことはできないのか?と思ってしまう。
補助金で復興していくと、住んでいる人は補助金があること前提で働いてしまうので生きる力が弱ってしまうのではないか、ということもすごく気になる。
時間と金を大切にしながら、その土地にある長い歴史の延長線上に、その土地の新しい歴史をその土地の人が生み出していくのがよいと思う。

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