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#8 あれから9年。あの日あの時。

2011年3月11日。
僕は造船所にいた。

防災フロート(平時は船舶係留施設とし、緊急災害時には復旧活動の支援に使用)の工事が完了し、海へ出したあとの片付けのためドック内にいた。

片付けも終わりにさしかけたその時、突然大きな地震に襲われた。
ドック内は地上より20メートル低い所にあり、仕切り壁の向こうは海だった。

従業員と共に急いで地上に上がり、海岸に係留してた大型船の確認に向かった。

その船には大きなマストがあり、激しく揺れていた。
甲板にいた作業員達も慌てて飛び出してきた。

一旦作業を中止し、従業員達と共に詰所へと戻った。

一時的な物だと気楽に考えてた自分たちの目の前に、頭で理解できない映像が流れてきた。

街が次々と波に飲み込まれ、道路を走っていた車も一気に流されていった。

何が起こってるんだ?津波?地震のせい?どこだここは?

映画のCGみたいなことが現実で起こるとは想像していなかったから、状況を把握するまで時間が掛かった。

その映像が流れた直後、造船所内に作業中止と帰宅の号令が流れた。
余波の影響で津波が来るかもしれないとのことだった。
北海道でも僕の住んでる地域は、道南と呼ばれ海に面していた。
僕は一刻も早く、家族のもとへ急いだ。

帰宅し、二人の子供を抱きながら妻とニュースを見ていた。

地震
津波
原発
行方不明者
あの日以降、毎日テレビやネットに流れてきた。
でもいつしか普通の日常を過ごしていた。

毎年3.11には、いろいろな思いを馳せる。
多くの命が失われ、未だ行方不明者もいる。
帰りを待つ家族が、9年経った今もいる。

ある人にとっては、もう9年。
ある人にとっては、まだ9年。
記憶は色褪せていくと言うが、感情を伴う記憶は色濃くなるばかりだ。

僕にとってもこの9年間は、色々なことが起こった。

当時2人だった子供が、今は4人になった。
毎日子供達の成長を感じながら、幸せな毎日を送らせていただいてる。
この当たり前の日常に感謝している。

事業では喜怒哀楽が入り混じる経験をし、僕自身大きく成長したと思っている。嬉しいことよりは、辛いことの方が多かったかな。
おかげでネタになる人生だと、楽しむ余裕も生まれた。

執筆している現在、僕は新しい挑戦をしている。
新しい人生のスタートというよりは、毎日昨日の自分より成長をすることにフォーカスして生きている。

来年は震災から10年。
来年の今頃も、僕は執筆を楽しんでいるだろう。


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