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お茶日記:「侘(わ)び寂(さ)び」の説明を求められた時に使える表現

「おー、これは侘(わ)びてますね〜。」

「こちらも寂(さ)びてますね〜。」

こんな会話、現代において、なかなか聞くものではありません。笑

でも、お茶をやっていると、たまに思わず言葉が漏れ出すことがあります。

「うぉー、この茶入(ちゃいれ)は侘びてますね〜!」

などと、本気で侘び寂びを感じることがあるのです。

この感覚は、お茶をやっていると、研ぎ澄まされてきます。

それでは、お茶をやっていないと、侘び寂びを感じることはできないかというと、そんなことはありません。

日本の豊かな自然や四季の流れには、いたるところで侘び寂びを感じることができます。


先日、2023年9月29日金曜日は十五夜、中秋の名月でした。(ご覧になりましたか?)

わが家はみんなで、スーパーで買ったリンゴや柿など秋の果物をタッパーにつめて、空が見渡せる場所まで歩いて向かいました。

「まんまるお月さまは見えるかな?」

3歳になる長男はワクワク!

しかし、空がよく見える場所を見つけて座り込んだものの、残念ながら月が見えません。

光は感じるのですが、真っ黒な雲におおわれています。

それでも、

「お父さんには柿をあげない!」
「えぇー、イジワル言わずにちょうだいよー!」
「じゃあ、1個だけ!」

なんて、他愛もない親子の会話をしながら果物をほおばっていると、妻が、雲が流れていることに気づきました。

「あれ、もしかすると、このまま雲が流れていけば、お月さまが見えるかもしれないね!」

と、家族のやる気が出てきます。

そしてそのまま座り込みは続き、10分くらいが経過しようという頃、

「あぁー、お月さまが見えてきたー!!」

ひょっこり顔を出してくれた、お月さま。

雲間から見える姿が、とても明るく、威風堂々。

そしてすぐにまた隠れてしまいましたが、わが家はみんな、大喜び!

長男も、「見れたね!見れたね!」とはしゃいでいます。


「月(つき)も雲間(くもま)のなきは嫌(いや)にて候(そうろう)」

これは室町時代の茶人、村田珠光の言葉と言われています。

完全でないこと、何かが欠けていること、足りないこと、時の流れとともに形を変えること。

そういう状態であることが、対象物が本来もつ輝きを、いっそう引き出すという考え方です。

私はこれが、侘び寂びであると感じており、言葉の説明を求められた時に使っている表現です。


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