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【鉄道自分史】#10「高校時代以来の鉄道一人旅」

 2022年6月に思い立って中国地方のJR等の未乗車区間乗車と津山まなびの鉄道館・若桜鉄道を訪ねてきました。タイトルを「高校時代以来の鉄道一人旅」としましたが、実際には小学校教員時代に列車で広島方面の修学旅行の下見をしたり、退職前も退職後も東京へ一人で行く機会が数回ありました。しかし、メインの目的が鉄道ではなく、純粋に鉄道だけが目的の一人旅は高校以来でした。

 高校時代の鉄道旅は本当に鉄道だけが目的でしかも節約旅行でした。一般の観光地へ行ったり何か名物料理を食べようという気持ちは全くありませんでした。食事は、ほとんどが駅そばか売店で買ったパンを食べる程度でした。たまにタイミングが合えば駅弁を買って食べたこともあるがそんな贅沢はめったに無かったのです。一人旅でないこともありましたが、行きは複数で途中から一人でという旅行も多かったです。せっかくなのでもう一か所行きたいという気持ちになったからだと思います。

今回もお世話になった「えきそば」姫路駅

 そして当時は青春18切符はなかったので、長距離のときは往復ではなく一筆書きのコースを計画し切符を購入しました。一筆書きのコースというのは途中で同じ駅を通らないということです。その方が各地を回れるし、往復するよりはるかに安く切符が買えたのです。例えば大阪から北陸本線経由で糸魚川に出て大糸線・中央本線で名古屋、そして関西本線で大阪へ戻るという旅行をしたときは学割で乗車券は3040円でした。夜の移動は今は存在しませんが夜行急行の自由席だとかなり安く抑えられました。

 そこで今回も同じような切符の買い方でできるだけ安く抑えるように計画しました。基本は普通列車に乗ることにしましたが夜行急行はないし山陰本線の鳥取・京都間は普通列車だけでは極端に接続が悪く結局普通列車と2本の特急に乗らざるを得ませんでした。

乗車コースは、
6/26(日) 名張→(近鉄大阪線)→大阪(JR東海道・山陰 新快速)→姫路→(姫新線①)佐用→(姫新線②)→津山→(因美線①)→智頭→(因美線②)→郡家(こおげ)→(若桜鉄道)→丹比
6/27(月) 若桜→(若桜鉄道)→郡家→(因美線)→鳥取→(山陰本線)→浜坂→(山陰本線)→(山陰本線「はまかぜ4号」)→城崎温泉→(山陰本線「きのさき18号」)→京都(京都で連れ合いと合流・3日目は西国札所巡り)→名張
となりましたが、東津山-津山間と、若桜鉄道は別料金になります。また、鳥取から京都への直通はなく普通・特急・特急と乗り継がねばなりません。なんとも不便な山陰本線でした。山陰本線の2本の特急以外はすべて普通列車でした。このうち初乗車になったのは姫新線(姫路-津山)、因美線全線(東津山-鳥取)、若桜鉄道全線(郡家-若桜)、山陰本線(鳥取-浜坂)でした。まだまだ、未乗車区間は中国地方だけでも多く残っていますが少しずつ増やしていくという楽しみができてしまいました。全く、したいことばかり増えて困ったものです。

 最初に書いたとおり、この旅は一人旅であり、鉄道以外の観光はしないというもので高校以来でしたが、普通列車に何時間乗ろうが、接続が悪く1時間以上待たされようが苦にならなかったのは昔と同じでした。行く前は少し不安もありましたが、62歳の今も同じような旅ができたことはうれしく思い時刻表の鉄道路線図に新しく乗ったところをラインマーカーで塗りつぶし喜ぶことができました。同じような旅といっても若いころのように駅で寝たり、夜中の2時について、仮眠して4時台の始発に乗るなどということは到底できないでしょう。そのため、今回は若桜鉄道の若桜付近で宿を探すことにしました。後ほど述べますがこの宿(宿坊)がまた素晴らしくもう一度行きたくなるところでした。実際まだ残っている中国地方の乗りつぶしの拠点に利用する可能性大です。

 時間的にさかのぼりますが、乗車以外の目的地の一つ「津山」では「津山学びの鉄道館」に立ち寄りました。懐かしい蒸気機関車・ディーゼル機関車、ディーゼルカーが扇形車庫にずらっと並べられ壮観でした。中でも蒸気機関車はD51の2号機でかつて大阪の弁天町にあった交通科学博物館に展示されていたもので、中学1年の12才以来ちょうど50年ぶりでした。その時小学校の同級生で仲の良かった友だちと2人で行ったのですが悲しいことに60歳の頃他界していました。鉄道館ではそのD51の汽笛を、ある時間に鳴らしてくれるのですが、ちょうどその時間に当たり汽笛を聞くことができたのですがその友人のことを思い出し一人涙ぐんでしまっていました。

津山まなびの鉄道館

 その後移動して、若桜鉄道という元国鉄若桜線を訪ねました。国鉄時代の路線はほとんど名前ぐらいは知っているつもりでしたがこの路線は近年いくつかのことで話題になるまで全く知らない路線でした。その情報から終点に蒸気機関車と給水庫などが保存されているのと未乗車であったこと、そして盲腸線(終点が行き止まりになっている路線、地方の短い路線に多い)でもあることから、今回乗車することにしました。時間的には終点若桜に着くのは19時半ごろで写真も撮りにくいし、そこから次の目的の京都へその日のうちに到底到着できないので、周辺の宿を事前に探すことにしました。

若桜鉄道 丹比駅
宿泊した「広澤寺」

 ネットで探したところ、はじめはいくつかの旅館が出てきたのですがその中で終点の一つ手前の「丹比(たんぴ)」の近くに「広澤寺(こうたくじ)」という寺が宿坊として泊まれることが分かり、すぐさま予約しました。一日一組限定なので空いていない可能性もありますが幸い予約することができました。ここでの詳しい話は別の機会に譲るとして、最大の特徴は、浄土真宗の寺ですが宗派にとらわれず新しいことを取り入れていること、墓じまいをする人のために永代供養をしてもらえる納骨堂の建設を進めていること、そして何よりの楽しみは食後しばらくして、本堂へ移動して「本堂バー」という形でお酒を飲みながら住職と語ることができるのです。ほかにも、写経や瞑想、勤行への参加も可能です。また、ブータン国とのつながりがあり過去にもあったようですが今後もブータン関連のイベントを行い地域をブータン村にしようという壮大な考えもあるとのことでした。

若桜駅
若桜駅の保存車両

 今回の旅は、鉄道だけを楽しむ一人旅でしたが、宿坊の住職との出会いも大きな旅の思い出になりました。コロナ渦前はもっぱら自動車での家族旅行や近隣の海外旅行が多かったのですが、まだしばらく海外へも行きにくいのでこのような旅も年に何度か行きたいものです。

乗車した「はまかぜ」
呑み鉄本線日本海
何年振りかに見た海

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