給食の思い出
自分が小中学生の頃は給食で残ったパンは持ち帰っていた
それが、今では給食で残したものは持ち帰らないことになっているらしい
子供が小学校に入学して給食を食べるようになってから気付いた
昔は食べ残しのパンは持ち帰るものだったので、それを忘れて机の中やロッカーに入れっぱなしになっていて後々カビパンになって発見される…というのは今どきの小中学生は知らないのか(°д°)
今どきの子供は緑色のカビパンなんて見たこともないのだろう…
私が小学生の頃は学校に焼却炉があった 今思えば中学にはなかったので、もしかしたらその小学校だけだったのかもしれない 知らんけど
小学生の時に掃除の当番で焼却炉掃除もあった
主に焼却炉の灰を集めて一輪車(リヤカー)に乗せて校庭の端っこの穴に捨てるという仕事だった
焼却炉では校舎内の掃除で出たゴミを燃やしていた
落し物で捨てられた鉛筆なども容赦なく燃やされた
そして鉛筆は灰の中から芯だけ残って出てくる
それが面白くて鉛筆の芯を拾い集め、ノートの紙を切って作った紙袋に入れて持ち帰ったら母に「骨を拾うみたいなことをやるな」と怒られた
拾い集めた鉛筆の芯は結局使い道もなく再度ゴミになった
そんな焼却炉は校舎内のゴミを燃やしていたので時折変なものも出てきた
給食の牛乳を燃やされたようで、若干形のわかる牛乳パックが出てきた
牛乳パックは焦げていて半分くらいなくなっていた
その半分燃えて焦げた牛乳パックからチーズが出てきた
チーズって牛乳を燃やしたら出来るのか…?!
などと脳内がバグる様なものが発見されたりもした
さすがにそのチーズもどきを触ったりする気はなく普通に灰と一緒に集めて捨てたが、今でも腐った牛乳は燃やしたらチーズになるのだろうか…と実験したくなる気持ちもある
私は牛乳が苦手であまり飲みたくなかったのだが、昭和生まれの昭和~平成初期は「給食は残さず食べろ」という時代だったので、好き嫌いがあろうと嫌いなものでも一口は食えと言われていた
小学校に入学して最初の冬(小一)、冷たい牛乳は余計に飲みたくなかったので残していた
それを見た先生(年配のおばちゃん先生)が温かい牛乳ならどうかと、牛乳を温めてくれた
当時はまだ学校に冷暖房完備という時代ではなかったので、冬はだるまストーブという暖房器具を使っていた
これの上に鍋を置き、鍋に水を入れパックごとストーブの熱で牛乳を温めてくれた
しかし、先生が鍋を石鹸で洗ったため、温まった牛乳は石鹸臭く余計に気持ちが悪くなった
さすがにそれは飲めなくて結局残した気がする…
そしてその石鹸牛乳(違)のインパクトが強すぎて、いまだに温めた牛乳は飲みたいと思えない
給食のメニューも様々で、手巻き寿司もあった
給食の手巻き寿司は酢飯と具材を海苔で巻いて食べるのだが、その具材のひとつにいつも梅ジャムがあった
私はその梅ジャムが嫌いだったのだが、好き嫌いするな時代だったのでやっぱり一口は食わされた
その手巻き寿司の日にデザートがイチゴという日があった
クラスのふざけた男子がイチゴを手巻き寿司の具材にして食べていた
多分不味かったのだろうが「食べ物で遊ぶな」なので一応残さず食べていた
そういうふざけた思い出もある給食の時間…
給食の時間といえば最近の中学(娘の学校)ではアニソンが流れてたりするらしい
自分が小中学生の頃なんてクラシックしか流れてなかったよ…
中学のときに放送部だった友達が一度「伝説のオウガバトル」を給食の時間に流したら、クラスの男子がオウガバトル流れてると大興奮していた
それくらいクラシック以外の音楽が流れるのが珍しかったのだ
最近はメニューも昔より美味しそうだし、音楽もアニソンが流れてたり、何より好き嫌いがあっても残さず食わなくてもいいというのが羨ましい…
昔は残さず食べろと言われていたから給食の時間が苦痛だった子もいたかもしれない
でも今は給食は楽しく食べる時代になったのだ
ONIGUNSOWの時代は終わったのだ
給食の時間が少しでも苦痛だった思い出がある方はぜひ、SEX MACHINEGUNSの「ONIGUNSOW」を聴いていただきたい
サポート頂けたら推し活とかちょっと美味しいもの食べるとか有意義に使わせていただきます(´ω`)