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子どもは居場所を見極めている。

子どもというのは実に興味深いもので…自分だって子どもだったくせに、さっぱり想像も付かないようなことをしたりしますよね。
なんで大人になったら分からなくなってしまうんでしょうね、子どもの思考回路が。
そんなことを考える日があります。
子どもが羨ましくもあり、呆れるほどに脱力に導かれたりもします。

子どもは時に大人が思い付かない悪さもします。
それは、世の秩序などまったく分からぬからこその出来事であったり、分かった上での挑戦状だったり。
悪さをするのは、成長過程である程度なくてはならない事だと思っています。
悪さをされた時に、周りの人がどんな風に自分に接するのか、家族や友人がどんな感情になっているのか、それを子どもは見ているのです。
1番良くないのは、子どもの悪さに対して無反応でいる事だと思います。
決して無反応はせず、子どもに感情や想いを伝えることが、悪さの始末の仕方を考えさせるのです。
この時、親の表現力が弱いと、無反応に近いと子どもに思われてしまう場合があります。

子どもは、その大人たちの反応をよく見て、学び、悪さの始末(感情も含め)をつけるのです。

表現力のある人になることは、多世代に繋がって繋がっていくのです。

子どもは、大人の表現をよく見ています。
表現力のない親には、表現力の育たない子どもが育ちます。けれど、子どもは元々みな、表現者です。
その表現力を奪うのもまた親なのです。

子どもたちは、大人をよく観察して、自分の表現力の居場所を見つけていきます。

本来、発想力があって、それを親に伝える力もある子どもが、
「ねぇ、お母さん(お父さん)見て!」
「ねぇ、お父さん(お母さん)聞いて!」
と話しかけてきたとしましょう。

ご両親は、何かに忙しく、もしくは疲れていて
「ちょっと待って。」
「また後でね。」
と答えます。

日々そんなことが続いたら、子どもの発想力は、居場所を失ってしまうのです。
そして、表現して伝えることをどんどんやめていってしまいます。

仕事に追われていたり、子どもが沢山いたら無理だ!と思う気持ちも凄くわかります。

けれども、私は出来る限り子どもに話しかけられた時「ちょっと待って。」と言わないように心がけています。
「ちょっと待ちなさい。」という時は、なぜ待つ必要があるのか子どもが納得いく説明をしてから待たせるようにしています。必ず、待っていた後には聞いてもらえるから準備して待とう、と子どもに思って貰えるように促します。
そうすれば、子どもの発想力は事の次第を待って、諦めることなく継続し、表現に繋がるのです。

子どもの居場所は残ります。

大人の表現力や受信力が、子どもをいかようにも羽ばたかせてくれると、私は信じています。

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