ノベルティにも「つくるプロセス」を
tetoteはものづくりの会社です。自分たちが企画したアイテムの「つくるプロセス」を大切にするモノづくりを目指しています。今回の記事では、つくる人たちにどのようなストーリーがあるかを取り上げます。
このカレンダーは、南三陸町を中心に製造されています。2011年3月11日。東日本大震災で大きな被害を受けた街です。
ボランティア、クラウドファンディングや募金など。復興の一助になるアクションはたくさんあります。代表ミウラもかつて、この南三陸にボランティアへ訪れた経験があります。継続的に関わることができるのは、「ビジネスの形」にすること、と感じていました。
少しでも雇用やその産業に貢献したい。ゆっくり、なるべく長く、その土地や人とつながることが理想です。tetoteは「10年前のご縁」から、カレンダーの製造加工プロセスを南三陸町の会社さんにお願いしています。
佐藤印刷さん
カレンダーの製造には佐藤印刷さんが携わっています。南三陸町にある印刷会社は少なく、創業40年以上、ずっと南三陸にある会社です。古くからのお付き合いのある企業さんからの発注が多いそうです。
———噂に聞いているのですが、お父様が南三陸町の町長さんなのですね。
はい。随分前になりますが、父親が南三陸町の選挙に出るタイミングで会社を継ぐことになりました。印刷の勉強もそこまでしていなかったのですが、東京から南三陸町に戻ってきました。
弊社の工場は高台にあります。家は流されてしまったのですが、工場は運が良く大丈夫でした。少人数の会社ですが、おかげさまで何とかやってこれたことに感謝です。
———色々とご無理を言いながら、お仕事を受けていただいています。基本は近場のお取引様がメインとお聞きしました。弊社のように外部からの依頼もあるものでしょうか?また、それはご迷惑ではないですか?
ありがたいことに、そのようなお声を他の地域から、いただくことはあります。震災をきっかけに南三陸のことを知って下さった方ですね。tetoteさんのように、ボランティアでいらっしゃって、ご縁がある方が多いですかね。
南三陸町を応援したいというお気持ちは、純粋にとても嬉しいことです。印刷工場としては小さい規模なので、いただくお声に対して、逆に対応できる設備や体制がなくて申し訳ないと思うことが多いです。
———それはよかったです。押し付けがましくないのかな?という想いと隣り合わせだったので。お仕事を依頼してから、設備も改修していただきました
いえいえ、テストで作業した時に必要だと感じました。カード型のカレンダーは切り口を綺麗に出したいですよね。クオリティを目指す上で、機械を改修しただけです。
———10年経ちました、南三陸町の変化を感じていますか?
被災から10年経ち、当時は街に雇用がなく、多くの方が外へ出て行きました。ただ、戻ってきたい人が増えてきた印象もあります。ボランティアさんが仕事を始めて、地元の人間がそこに関わって雇用が生まれているケースもあります。当時のバタバタ感がひと段落したこともあり、新たなチャレンジしやすい土壌もあります。誰でも受け入れる閉鎖的ではない風土が、不思議と昔からありますね。
ですので、外部の方がやってきてくれる事はとてもありがたいです。水産のお手伝いにも外国の方が入ってきています。子供自体少なくなっているので、こういう動きは大歓迎ですよね。
フロンティアジャパンさん
カレンダーの木製スタンドの制作/セット作業を依頼しています。南三陸町はもともと良質な杉の産地。杉を加工する林業が古くから営まれていました。
震災後、街の雇用がない方たちが多くいらっしゃった時に、小さな工場を借りて、木加工をできるような設備を整えていったのがフロンティアジャパンさん。南三陸町の女性たちが作業場で活躍しています。
———この工場は震災後にできたものとお聞きしました。
震災当時は仕事はもちろん、雇用の情報も全然ありませんでした。地元の人を雇用して街を活気づかせたいという気持ちがある人たちが、木材の加工ができる機械を導入して工場を作ったのが10年前です。私もそこに関わっていて、今に繋がっています。
———その時から、レーザー加工や軽作業などのお仕事を受けていらっしゃるんですね。
南三陸は元々、漁業と林業の町です。杉がとれるので木のグッズが製作できる下地がありました。スタッフの中にも機械の使用ができるメンバーも増えて、当時よりは進化しています。東京の本社と連携をとりながら、製品をつくっています
———10年経って、何か変化を感じていらっしゃいますか?
この10年くらいずっと道路工事が続いているんです。災害対策で海の周りも手が入ってます。子供のころ育った街とは景色は変わってしまいましたが、基礎が整ってようやくスタートしたって感じですかね。
気仙沼や石巻は若い人も外からきているようで、アートや古民家カフェや演劇とか、面白いことが始まっているようです。何かやりたいという話は三陸の地域柄なのか、ウエルカムなんです。
———似たような話を佐藤印刷さんでも聞いて驚いています。外からの人たちを受け入れてくれる土壌がある乗って、すこし意外だなと思って。
そうですよね。南三陸町へも移住されてきて、新しくビジネスをやる方もいます。横のつながりもあって、新しいチャレンジに力を貸してくれたりもする。三陸の方で何かやりたい、という想いは嬉しいですし、個人的に希望を感じていることです。
震災後からこの10年、工場で働く佐藤さんにもお話をお聞きしました。ここで働く女性スタッフは、みなさん南三陸町に震災前からずっといらっしゃった方達だそうです。
———10年経って、何か変化を感じていらっしゃいますか?
10年は本当にとても早かったです。テレビや新聞で見て、ああ10年たったんだ。と、しみじみ思います。街を建て直す過程で、やることが本当にたくさんあったからなんですかね。この場所でお仕事をさせてもらって、それに没頭する間に、辛いことも少し和らいだのかもしれません。
———やはり当時は雇用はなかったのでしょうか?
私は志津川漁港の近くのお店で働いていました。けど、海の近くですから全部流されて、働き口を失っていました。そこで、木の加工会社の求人があって、面接して雇ってもらいました。
ここにも数名の女性たちが働いていますが、震災前は同じ南三陸町に住んでいたけど、みんな知らない間柄でした。こんなに長く雇用してもらうとは思っていなかったので、本当にありがたいですね。
———カレンダーの案件もお願いし始めました。
サンプルを見て、とってもかわいいカレンダーだと思いました!うちの木製品では、こんなにカラフルなものはないんです。私たちの仕事は、お客さんのところに最後へ届くパート。一つ一つチェックして、丁寧にやっていきたいです。
つくるプロセスが、モノには宿っている
スケジュールや制作の仕様によって少し変化はしますが、この南三陸町での生産体制を基本として考えています。その制作物には、必ず作るプロセスがあります。南三陸町という場所で、そこに暮らす人たちが、tetoteのカレンダー制作に携わっています。
南三陸町。震災から10年を経てすこしずつ、変わってきているのかもしれません。街の復興商店街にも、観光客の方たちが訪れていました。とにかく海産物が美味しいのが一つの魅力です。
ノベルティを受け取った人が、その制作プロセスを想像できるように、メッセージカードに込めています。
小さなことですが、地域社会へ貢献できることを目指して。大量生産と大量消費を前提とした海外製のノベルティとは違う、モノづくり。選択する際に、そのプロセスも含めて考える。そんなきっかけを作っていければと、tetoteは考えています。
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