僕は僕を好きな人が好きだが?
こんばんは。ボードゲーム好きVtuberのテトランパトルです。
シンプルが一番だと思いながら、この記事を書くときに全くシンプルに書くことができなかったので、僕はシンプルに生きていくことはできないのかもしれません……
それでもできるかぎりシンプルに書いていこうと思います。こんがらがった僕の思いを。
このnoteで僕が述べている「好き」は全部「Like」です。そのつもりでご覧頂ければ幸いです。
好きを可視化しやすい世の中
SNSという対人交流ツールが世の中に満ち溢れていますね。二昔前ぐらいにはこんなものはなかったわけで。そういった時代にはそういった時代の対人交流スキルというか、アイテムというか、そういうものがあったのでしょう。
SNSの特徴というのはいくつもありますが、その中でも今回は「相手への好意を可視化しやすい」ところを挙げてみたいと思います。
簡単なものであれば、ボタン一つでSNSの投稿に「好き」を伝えられますし、少し労力をかけるとしても、文字を数文字~二百字程度書き込むだけで相手への「好き」を伝えられる訳で、相手への好意を目に見える形で伝えやすい度合いは、SNSが無かったころと比べれば格段に向上したと言えるのではないでしょうか。
好きなものを好きと言おう
伝えやすいなら伝えよう。
好きなものを好きと言って困ることがありますか? 好きなものを知られることが恥ずかしいということがあるかもしれない。じゃあしょうがないね。
でも、別に知られても恥ずべきことなど何もないというのなら、自分の「好き」を表明すること、伝えることにはアド(アドバンテージ、有利な点)しかないはずです。
そんなアドしかないアクションが、更に伝えやすくなってるとかどういうことなんでしょうか。どういうことであろうと、伝えれば伝えるだけ得になるんだから伝えましょうよ。好きなものを、好きであると。いいねもスキもガンガン押しましょう。
人って割とちょろい。もちろん僕も。
大小問わず、好意を伝えられて喜ばない人というのは、とっても少ないのではないかなあ、などと思うわけですがどうでしょうか。
というか僕は「好き」と言われると嬉しいです。活動者として「好き」と言われて嬉しくないことがあるでしょうか。いやない。嘘です。嬉しくない事例があるかもしれませんが、一般的には嬉しいことしかないです。
そして、嬉しい気持ちにさせてくれたり、喜びの感情を感じさせてくれたりする人に対して、相対的に好意を持ちやすいというのも、シンプルながら導き出しやすい解答なのではないでしょうか。
ちょろいと言われたらそうなんでしょうけど。人ってそんなもんだと僕は思うんですよね。ちょろくていいじゃない、人間だもの。
結論
僕は好きって言われたら嬉しいので好きって言ってね。
以上、結論でした。
おわりに。
これは極めて限定的な条件下における話なのですが。
「仲良くしてね」と言ってくれた相手に、こちらから好意を送っても何の反応もないときがありまして。
そんなときは、「仲良くしてね」自体が社交辞令だったんだなあと悲しくなりますね。
ちょろいのは僕だけだったんや……
哀しみのYoutubeチャンネル貼っておきますね。ぺたぺた。
それでは、ご覧頂きありがとうございました。