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来年はもっと贈り上手の受け取り上手になりたい



今年最後の読書記録


いつも自閉日記の後ろに付けている読書記録。
今回は本年最後ということで別記事全体公開します。


今年は、本を読むと世界が広がってたのしいことに気づけた。
多分今年一番の気づき。来年もいっぱい読む。


・家族だから愛したんじゃなくて愛したのが家族だった


岸田奈美さんの文はとても読みやすく面白い。

冒頭数ページでお父さんが亡くなる。そして弟はダウン症で知的障害があり、母親は岸田さんが高校生の時に脳の病気で下半身不随になる。そして祖母は認知症。

状況だけ並べれば、こんなにたった一人の人に大変なことが降り掛かっていいのだろうかというレベルなのだが、それを決して悲壮感に満ち溢れた話にしていない技術というか、文章力?表現力?これがすごい。

本文内によれば岸田さんは『忘れる』ちからが凄く強いらしい。
でもこうやって文章に出来ている時点でちっとも忘れていない。
むしろかなり色鮮やかに覚えているはず。

それでも、とてもつらい出来事も、胸が苦しくなるような重さだけではない文になっている。それでもちゃんと読みたくなる力がある。
私の文はいつもいつも重々しいので本当に見習いたいと思う…。

「人生楽しく考えたほうがいい」というお父さんと、弟に障害があってもあなたはあなたの人生を生きなさいと言ってちゃんと岸田さんを一人の娘として愛したお母さんに育てられ、また、色んなことを学び、生きて、周囲の人に愛される弟がいる。

タイトルの通り「家族を愛している」そして「愛されている」のだ。

岸田さんの本を図書館でかりてきて、この本から読んだ。
そして私は、1冊目を読み終えたとき岸田さんを妬んだ。

これはあくまで1冊目を読み終わった後の素直な私の思い。
ちょっと嫌な事を書くけども、ここでこの文を読むことをやめないでほしい。

岸田さんは作中で「生きづらさを抱えていた」という表現を何度か使っている。
だが多少生きづらさを抱えていても、家族に愛されていればこんなにも悲しみを楽しみに置き換えて考えられる人になれるのか、なんと美しいのだろうと。

これぞ自己肯定感だ。私の文章がいつも重苦しいのは多分この力が足りないからだ。
私はいつも家族から否定されてばかりだった。そこそこ裕福だったので物質的には満たされていたが、心はいつも枯れていた。

もっと愛されて育っていれば、こうやって辛いことも笑いに変えられる人間になれていたろうに。

読み終わったあと、そう、思った。

いろんな人の優しさに触れる素敵な人生を知った爽やかな読後感とともに、醜い感情が胸の底でうずまいていた。最悪だ。

ただ、それは思い過ごしというか、岸田さんのたったひとつの側面を覗き見ただけでわかった気になっているだけのものだった。
たった一冊の本に書かれた人生の一欠片を読んだだけで、一体私は何をわかった気になっていたのだろう。

・傘のさし方がわからない

2冊めの本。
この本も冒頭からニヤニヤしてしまうような面白い文章で始まるのだが、「自分には友達がいない」という記事から私のそこまでの岸田さんへの価値観がひっくり返る。

この記事に関してはnoteで無料公開されているので興味が沸いたら読んでほしい。


noteで恐ろしいほどのスキを集め、有料マガジン購読者の購読料が生活の基盤になるほどの大量のファンを獲得している岸田さん。
1冊目を読み終わった段階では、沢山の人に愛され、たくさんの人に囲まれて、毎日楽しく笑い転げる日々を送っているのだろうと私は勝手に嫉妬していた。

これだけ面白い文を書いて、日々大変なことがあってもなんだかんだ誰かに助けられてさ。なんだ、幸せそうじゃん、と勝手にひがんでいた。
ああああ、自分のばかやろう。

以前自分の作品がバズり、その後炎上した。

「結局お前は結婚もできて子どもも産んで幸せな家庭を手に入れられてんじゃねぇか」
「幸せな立場からきれいごと言ってんじゃねぇ」
「お前の生きづらさなんて大した生きづらさじゃないだろう」

批判の言葉をたくさん浴びた。

「ほんの一握りの自分だけ見て、私の生きづらさの重さを他人が勝手に決めるな」「結婚して子ども産んでさえいれば辛いことが全部消えてなくなるとおもうな」と、思っていたのに!
自分も結局立場変われば同じ穴のムジナだ。

私も現実、友達はほぼいない。
人にやさしくされることも怖い。
与えられたら返さないといけない気がしている。

だからこの岸田さんの記事に、共感出来ることがたくさんあった。
そうか、この人はすごくしんどくても、それをこうやって読み手に負担をかけないように文章で表現できる人なんだと敬意を抱いた。

私はかの炎上したマンガを同じ立場の母親に見せたことがある。
そして「あなたの漫画、すごいと思った。でも、つらすぎて2度は読めない」と言われた。

私の作品は多分、読み手に負担をかける重さがある。

でもその重い漫画をきっかけにあなたのファンになりました、と言ってくれる人もいる。

それでも炎上を恐れて少しオブラートに包んだ作品作りをしていたとき、すずめの戸締まりを作った新海誠監督のインタビューに心が震えた。

(このインタビュー記事、実際に映像で喋ってた最後の言葉がカットされているのが不満だ。)

「作品にはどうしても暴力性が伴う」
「誰かの心を動かすことは、相手の心に触れようとすること。
それによって傷つける可能性もある」
「しかし人を傷つける事を恐れて、慎重に慎重に傷つける部分を避けて作られた作品は、誰の心も動かさない」
「僕は、自分の作品を見た人には心を動かしてほしいと願いながら作品を作るのだ」
「誰かの心に触れたくて、触れたくて、自分は作品を作り続けている」

何かを発信することに対する覚悟。

すずめの戸締まりは、重い部分はそりゃもうすごく重いのだけど、それ以外の場面でとても明るく希望に溢れているので全体を通しての作品に対する印象が極端に重くない。

人はいつか死ぬけど、でも生きていくことは尊いことなんだと、そう思わせてくれる。すごい作品だなとしみじみ思う。

・世界は贈与で出来ている


もしも生きづらさを抱えていても、創造力がある人は何かを発信することで誰かを助けることが出来る。
それを岸田さんは「アンサングヒーロー」という言葉で書いている。

そのことについてはこちらの本からの引用で…

この本も読んだけど、これもまた素晴らしいんだ。
難しくて理解しきれないところもあったんだけど…

自分が今まで生きてきて「生きやすさ」みたいなものを見つけた時期が「自分が誰かにいつも生かされている」ことに気付いたときからだった。

多分人生で一番心が死んでいた時期がある。

そのとき、自分をいつも否定してきて、きっと自分のことなど愛していないと思っていた母親に、絶望の底から引き上げてもらった。

それから少しずつ日常を取り戻していく中で”この人の存在がいなかったら”ということを逐一考えるようになった。

すごい建築物を見る度に、おいしい料理を食べる度に、誰かと楽しい時間を過ごす度に、ひとりで生きていたらこれは手に入らなかったのだと思うようになった。

そうか、私はあのときから贈与に気付く力を手にいれて、それによって誰かに与えようとする(与える人になれているかは今はまだわからない)人になれたんだ…と、本を読んで鳥肌が立ったので、興味が沸いたらこれも読んでみてほしい。


私も、アンサングヒーローになれるだろうか。
私は夫に出会い、娘に出会うまでは人から愛を受け取るのが下手くそすぎた。

うちの夫は受け取り上手で贈り上手だ。

褒められたらそれが明らかにお世辞だとしても、そりゃもう素直に喜ぶし、嬉しいときは嬉しいって大騒ぎするし、何かにつけてありがとうを言う。

私は褒められても裏があるのではと素直に受け取れないし、嬉しいときも嬉しくないふりをしていた。でも少しずつ夫に感化されて受け取る事も贈る事も上手になってきたように思う。

そして私の両親は与えるのが下手だっただけで、きっと与えようとしていたのだ、と思おうとしている。
贈ることも、受け取ることも、お互い不器用な親子だったのだと。

過去の記憶は変えられるんだと、何かで読んだ。
だから少しずつでも、自分に都合良く記憶を変えていきたい。

だってその方が人生を幸せに感じられるじゃない。


自分の作品を読んでくださる方々へ


そして岸田さんの作中でも何度も出てきますが、私もBUMP OF CHICKENが好きなのです。

最近何度も繰り返して聞いてるのが『Aurora』

作品は、宛先が白い手紙なんだと思っている。

私の作品を読んで傷ついてしまうような人のところには届かないでほしい。
誰かの心に触れようとする作品は、きっと誰かを傷つける作品でもあるから。

作品によって心が温かくなってくれる人の元へ正しく届くようにといつも祈りながら発信する。

大切なものはわかってるのに、大切にするのは下手。

本当にそう。

この人の歌詞は、なんでこう、心の奥に響いてくるんだろう。
藤原さんも「アンサングヒーロー」だなぁ。

歌詞聞いてたら、いつも泣いちゃう。

手紙を受け取って、優しい言葉を返してくれる数少ない読者の皆様へ。
いつもありがとうございます。
私もその言葉に救われています。


さて、今日も長文になりましたが、私のnoteを読みに来てくれた方へ。

今年もありがとうございました!
来年もよろしくお願いいたします。

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