子の背中が見える風景

私は、母親7年目だ。

娘のハナはヒドイ癇癪持ちで
特に勝負事となれば
負ける事を受け入れられなかった。

たかがカルタ、
たかがかけっこ。

負ければ狂ったように泣いて
暴れて手が付けられなくなった。

だから私はいつも、
何か勝負をするとき
わざと負けたとわからないよう、
ほんの少しずつ手を抜いて
彼女と戦った。

「お母さんの負けだよ、
ハナは強いねぇ」

勝つと、ハナは得意げに笑った。

「お母さんは何をやっても弱いなぁ」

負けを極端に拒む彼女にとって
私はそれが彼女の為だと思っていたし
手を抜くことが悪いこととは
思っていなかった。

ハナが小学校に入り
少しずつ彼女と勝負する機会は
減っていた。

学校での出来事を聴く中で
友達に勝った負けたという話を聴く。

負けたときの話も
ハナは案外楽しそうに話していた。

今のハナは、昔ほど、
負けに対する拒否感は
ないのだろうか。

2年生になってしばらくしたころ。
ハナが何気なく私に声を掛けてきた。

「お母さん、トランプやろ」

私はそのとき、そろそろハナを
大人として全力で
打ち負かしてやるときだと思った。

今のハナならきっと
受け止められるだろう。

いつもあなたが勝っていたお母さんは、実は強かったのだと。

選んだゲームは「神経衰弱」だった。
ごくごく単純な、
カードの位置を記憶するゲーム。

ゲームを始めて私は
これを選んだことを後悔した。

今まさに成長しているハナの脳と
年を取って衰える一方の私の脳。

記憶力だけで勝負するなら
私の全力は案外7歳に敵わないかもしれない。

めくられたカードを覚えようとしても
覚えられない。
ハナもそれは同様だった。

「この辺に8があったよねぇ?」
お互い自分が覚えていたカードをめくっては間違えて笑う。

時折、自分が覚えていなかった
場所にあったカードをめくり
得意げにペアを揃えていくハナに
私は少々焦りを感じた。

少しずつ場にある
カードが減ってきた。
最後の6枚になったところで
ハナの番が回る。

「お母さん、全部もらったよ」

ハナは得意げに6枚のカードを
全てペアにして
自分の手元へ運んでいった。

二人が持っているカードの束の厚さは
ほぼ同等だった。
私は全力で彼女と勝負したというのに!

自分達の前に、ひとつずつペアにしたカードを置き、
声を揃えて数字をカウントしていく。

ついに、私の手札が最後の一組になった。

しかしハナの手には、まだカードが残っていた。

何と言う事だ。
勝つ気満々で挑んだゲームだった。

大人の本気が子どもに負けるはずがないと思い込んでいた。

負けた、負けた。

何と見事な負けだ。
わざとではない、初めての本当の負けだ。

目の前には誇らしげに残ったカードを
カウントするハナがいた。

「私の勝ち!」

この言葉と満面の笑顔を
わざと負ける場面で私は
幾度となく見てきたはずだった。

でも私は、娘の勝利の笑顔を
このとき初めて見たような気がした。

そうだ、私が今まで娘としていたのは
きっと勝負ではなかったのだ。

相手をちゃんと認めずに、見下して
負けてやっていただけだったのだ。

勝とうと思えばいつでも勝てるという驕りが自分の中にあったのだ。

自分が作ってやった勝利の笑顔と
彼女が本気で勝ち取った勝利の笑顔は
私にとって全く別だった。

相手を認めた上で負ける勝負は
思った以上に気持ちのよいものだった。

数十年前に、父が弟に背を抜かれて
笑っていた日を思い出す。
親は、子に負けて笑えるものなのだ。

「お母さんの負けだよ、
ハナは強いねぇ」

いつも通りのいつもの言葉。
でも、作られたものではない言葉だった。

負けた。
これは親として喜ばしいことだ。

常に私の後ろを歩いていたハナが
この時ほんの少しだけ、前に飛び出たのだ。

一瞬だけ見えたその背中の
なんとたくましいことか。

この、まだ小さな背中が
いつか自分の手が届かないほどに
離れる日がいつか来る。

親ならばその日を
待つべきなのかもしれないが
今の私には、それを思うにはまだ寂しい。


※こちらはコルクラボマンガ専科の表現実習で作成した小説です。
実習についての記事はこちら。


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